300年前の健康書が今さらながら心に刺さる理由 著者は平均寿命40歳の江戸時代に83歳の大往生

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『養生訓』で益軒は、「人として生まれたからには良心に従って生き、幸福になり、長生きして、喜びと楽しみの多い一生を送りたい」と述べている。

一例を挙げれば、食事をするときは誰のおかげかを考え、感謝の心を忘れず、農家の人の苦労に思いを馳せ、こんな自分でも食事ができていること、世の中には自分より困窮している人がいること、昔の人は十分に食べられなかったことを思い出せという。武士であり、すでに世に聞こえた大学者であった益軒の謙虚さと、すべての人に向ける優しい眼差しが印象的である。

思想面では、益軒は晩年になって朱子学に批判的な立場を取り、若い時期に親しんだ陽明学の中の知行合一(ちこうごういつ)という概念を重んじるようになる。知行合一とは、煎じ詰めれば、「知っていても実行しなければ知っているとはいえない」という実践重視の考え方である。

『養生訓』を出版した翌年の1714(正徳4)年、最晩年に刊行された『慎思録(しんしろく)』には、よく知られる一節、「学ぶだけで人の道を知らなければ学んだとはいえない。人の道を知っていても、実践しなければ知っているとはいえない」がある。

栄養過多が問題視され始めた時代に書かれた

死去する前年においても体力気力ともに充実し、自ら筆を執って『養生訓』8巻を書き上げた益軒は、83歳で見事に天寿をまっとうした。その姿は、生涯をかけて追求した養生の道が正しかったことを雄弁に物語っている。

『養生訓』は我々に何を教えてくれるであろうか。

益軒の時代には、食べる目的がそれまでの「生きること」から「楽しむこと」に変化し、栄養不足ではなく栄養過多を原因とする病気に注目が集まっていた。飽食の時代といわれて久しく、生活習慣病やメタボリック症候群が蔓延する現代と重なる。

初版から300年を超えた今日でも、当時の食材や献立、調理法、摂取法のほとんどが馴染み深いものであるため、実用書として大いに参考になる。

食養生の例

また、誰もがストレスに喘ぐ現代人からみると江戸の暮らしにはのんびりしたイメージがあるが、礼節と忠孝に縛られた社会の中で、人付き合いには細やかな配慮が求められていた。『養生訓』は「心の養生」としてストレス管理の大切さを強調し、その軽減法を具体的に教えてくれている。

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