北野武新作「首」、プロが見た驚きの感想【前編】 本日公開、「キャスティングには成功」したが…
曾呂利新左衛門の兄貴分の多羅尾四郎兵衛(寺島進)が、光源坊の配下にあり、書状は曾呂利を介して秀吉の元に届き、跡目への期待を裏切られた秀吉も信長への忠誠を裏切る腹を固める。
ポスト信長レースで貧乏くじを引いたのは、村重の示唆というより、秀吉の挑発に乗って先に動いた光秀ということになるが、さてそこで「首」をめぐるもう1つの主題はどう処理されただろうか。
ここに首の価値など歯牙にもかけない農民上がりの秀吉と、敵の首を差し出して武士に成り上がろうとあがく丹波篠山の農民・茂助(中村獅童)のコントラストが浮き彫りにされる。
全編これでもかと言うように生首が飛び交う本編で、「首フェティシズム」への嫌悪とその不毛さを、北野武は「俺は百姓だ」という秀吉のせりふで鮮やかに描きだす。それが成り上がり者の真っ当な「正気」だ、とでも言うように。
実は「ただの失敗作」とは言えない「問題作」
つまりこの映画は、敵将の首の争奪に明け暮れる武士や、その予備軍たる百姓の不毛な争いを冷ややかに見守る秀吉の勝利による、反・「首」的な主題をこそあぶり出していることになる。
実はそれこそが、この作品を「ただの失敗作」とは言えない「問題作」にしている要因なのだが、そこには北野監督のセクシュアリティーの表現の問題も絡んでくる。
この記事の後編では、そのあたりを改めて詳しく論じよう。
*この記事のつづき:北野武新作「首」、プロが見た驚きの感想【後編】
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