某テレビドラマのように、タワマン内でヒエラルキーがあるなら、壁にヒビが入った廃墟のようなマンションに住む私たちは、蔑まれていたでしょう。私も、一度は手放した「しがらみ」や「虚栄心」をふたたび手にしていた可能性もあります。
しかし、幸いなことに、そういった諍いはわが家の住むエリアにはなく、職業や年収で人を推し量るような人はいませんでした。
不定期に催されるホームパーティーには参加したいときだけするし、レストランや料亭で催される食事会は予算オーバーなので断る。見栄を張ることなく、付き合える範囲でお付き合いしています。
ヘンにこちらの懐事情をおもんぱかることもなく、深追いすることもなく、フラットに付き合ってくれるのは、東京的なのではないかなと思います。そして、その距離感が絶妙で、居心地は上々です。
さらにひとまわり小さい部屋に引っ越し、6年目
2年で大阪に戻るはずでしたが、そのまま東京に居座り続けています。夫は東京の会社に転職し、そのタイミングで同じマンション内でさらにひとまわり小さい部屋(こちらが現在も住む部屋になります)に引っ越しをして、小さな暮らしは6年目を迎えます。
わが家は狭く決して裕福ではありませんが、自分たちの暮らしを気に入っているし、好きなものに囲まれた小さな暮らしを誇らしく思っているので、周囲と比べることもなく、卑屈になることもなく、毎日のように「今日が人生で一番楽しかった」と思える日々を過ごしています。
もちろん結婚するまでの暮らしが、あまり恵まれた環境ではなかったというのもあるとは思いますが、そういった人生だったからこそ、「小さく暮らすことの尊さ」を知ることができたのも間違いありません。
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「広い家でぜいたくな暮らしをするのが幸せ」という人を否定するつもりはありません。でも、「狭い家での、身の丈にあった暮らしのなかの幸せ」もあるなぁと思う今日この頃なのです。
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