あえて「嫌われ者」の新自由主義を擁護するワケ 「増税メガネ」の新しい資本主義は完全に的外れ

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思潮としての集産主義はピークを過ぎたが、立法化・制度化のレベルではまだまだ影響が続くだろうと、論文を書いた時点のフリードマンは考えている。

フリードマンが主張する政府の役割とは何か

さて、集産主義とは、かつての通産省(現・経済産業省)の行政指導や、全体主義国家の計画経済のように、政府が重点分野を決めてコントロールする経済運営のことだ。

フリードマンは、レッセ・フェール時代の自由主義と新自由主義の大きなちがいとして、前者が単に民間の政府からの自由を強調したのに対して、後者が独占など、プライベートセクター(民間部門)による競争制限行為に反対する点を強調している。

放っておくと民間の主体も競争制限的行為を行って害をなすので、こうした弊害から人々が守られるべきだと述べている。競争制限につながる企業合併などには反対なので、旧フェイスブック(現メタ・プラットフォームズ社)がインスタグラムを買ったような行為には反対だということだろう。

さて、フリードマンがこの論文で主張する政府の役割は、夜警国家的な法の執行や制度の維持以外に、以下の3つだ。原文も引用する。

(1)独占を排除した競争環境の維持
(2)安定した貨幣政策
(3)困窮者の救済
The state would police the system, establish conditions favorable to competition and prevent monopoly, provide a stable monetary framework, and relieve acute misery and distress.
The citizens would be protected against the state by the existence of a free private market; and against one another by the preservation of competition.These are broad powers and important responsibilities that the neo-liberal would give to the state.
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