あえて「嫌われ者」の新自由主義を擁護するワケ 「増税メガネ」の新しい資本主義は完全に的外れ

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筆者がこの論文を発見したのは、元日銀副総裁の岩田規久男氏の「経済学の道しるべ」(夕日書房)という本に教えられたからだ。この本は、日銀の話の外にも、各種の俗論の切り捨てが小気味よいし、かつての大物経済学者のエピソードなどもあって、大いに楽しめる。とくに、経済学部出身のビジネスパーソンにお勧めしたい。

本家の「新自由主義」の定義とは?

同書によると、フリードマンがNeo-Liberalismと書いているのは、どうもこの論文だけのようだ。後の「資本主義と自由」や「選択の自由」などの著書にも、この言葉はないという。

「資本主義と自由」は、筆者が高校3年生の冬に読んで、経済学部に行くことを決める要因になった愛読書だが、確かに、新自由主義という言葉は出てこなかった。個人的に、この本には随分世話になった。以下、フリードマンに少し恩返しをしたい。

ちなみに、ミルトン・フリードマンの人間像は、一時シカゴ大学で研究した故・宇沢弘文氏の紹介によって実像以上に悪く伝わっているのではないかと思われる。

宇沢氏は世界的な評価を受けた優れた経済学者だったし、優れたお弟子さんを何人も持っている。その宇沢氏は、生前、シカゴ大の大物であるミルトン・フリードマンとゲーリー・ベッカーの2人について、人格攻撃のレベルで口汚く罵っていた。

筆者が宇沢氏の講義を聴いたのは1978年のことだったが、聞くに堪えない酷いものだった。「宇沢氏は、シカゴ大学でひどいいじめを受けたのだろうか」と推測したが、真偽の程はわからない。実際には、宇沢氏もフリードマンも、人物的にはいい面と悪い面を両方持っていて、極めて癖の強い学者だった。

さて、論文は前半に思想の変化と立法化のトレンドについて、盛衰やタイムラグについて語られていて、なかなか新自由主義の説明が出て来ないのだが、思想としては、「レッセ・フェール」という言葉に代表される自由主義の後に、「集産主義」(collectivism)の時代がある。その次が、自由主義なのだがレッセ・フェールの自由主義とは異なる「新自由主義」の時代になるべきだという、フリードマンの展望あるいは希望の下に書かれている。

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