東芝は「高学歴依存」から今度こそ脱却できるか 「デジタルがわかる初めての社長」への期待

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なぜ、経営危機に直面した時に東大卒が続いたのだろうか。一般的に日本の高学歴型大企業で見られる現象としては、とりあえず「東大卒」を社長に据えておけば、詳しく説明をせずとも、現場だけでなく高学歴社員まで納得するという思いこみがあるからではないか。

そのような企業文化の中では、「東大出の頭のいい人だから、無難に危機を脱してくれるのではないか」という論拠のない期待が高まりがちである。結果論になるが、この2人の東大卒社長の下では、改革は大きく進展しなかった。

ニュースリリースに学歴を書かなかった

とはいえ、「東大卒=失敗」という明確な因果関係があるわけではない(1人や2人の談話をうまくつなげて一般化しようとするのは、経営学者の端くれとしても慎みたい)。

危機を打開しなくてはならないときには、従業員に対して変化の認識を意識させ、改革の動機付けをする必要がある。過去の経営者と同じような背景を持つ人がトップに座っても、危機感は熟成されない。

そこで、非常時には、うちの会社も変わったなと思われる人がトップに就くといいだろう。革命家のイメージを社員に与えることで、改革しなくてはならないという雰囲気が盛り上がる。

車谷氏が退任を迫られ、皮肉にも、その後任として車谷氏がスカウトしてきた島田氏が新社長に就任する。島田氏は甲南大学理工学部卒だが、就任時、メディア向けに発表した略歴には学歴が書かれていなかった。日本の大企業が発表するニュースリリースでは、めずらしいケースだ。

このため、さまざまな臆測が飛んだ。仕事の実績よりも30数年前に卒業した大学を気にするあたりは、偏差値至上主義になってしまった日本らしい悪しき風潮だ(誤解を招いてはいけないので補足しておく。甲南大学は独自の文化を誇るすばらしい大学であり、経済界で活躍しているOB・OGも多い)。

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