明治期の日本人は進化論をどう受け止めたか? 政治思想にも影響を与えた「生存競争」の概念

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丘は再びコケムシについて考えはじめた。コケムシは人間社会とかなり似たような振る舞いを見せ、個々の細胞が集結して一つの強力な軍隊として戦う。一つの群体の中では各細胞が資源を共有してともに働く。

丘はさらに、ピペットでシャーレに藻を入れてコケムシの群体に食べさせる実験もおこなった。群体のことを丘はしばしば「国家」と呼んだ。

「餌を摂取するとその栄養分は必ず均等に分配される」と丘は報告している。コケムシの個々の細胞は明らかに協力しあうことができるのだ。しかしその協力関係が争いを招くこともある。

丘は1つの容器に2つの群体を入れて同じ実験をおこなった。するとその2つの群体が戦い、最後には一方だけが生き残った。さらに群体の中には、毒で満たされた特別な細胞を送り出して敵を攻撃するものもあった。

化学兵器も進化的適応の一つであって、生存競争の必然的な産物であるように思われた。日本軍も、第一次世界大戦で塩素ガスが広く使われるのに先駆けて、日露戦争でヒ素化合物を使用した。

「その点で人間もほかの生物と少しも変わらない」と丘は結論づけた。恐ろしいことに、一見無害な生物学の概念が最悪の暴力行為を正当化するのに用いられかねないことを、この一件は物語っている。

戦争と「生存競争」の概念

ダーウィンの学説が日本に入ってきたのは、1868年の明治維新に始まる歴史的な変化の時代だった。「生存競争」の概念が日本の科学者に響いたのは、自分たちの生きる世界を反映しているように思えたからだ。

1894年から1895年の日清戦争と1904年から1905年の日露戦争は、丘が「生と死の法則」と呼んだ原理を裏付けているように思われた。

丘いわく、人間も彼が研究室で調べたコケムシと何ら変わらず、集まって大きな集団を作り、野蛮な戦争に突入する。

この地域で日本の最大の宿敵だった中国において進化論に対する関心が高まったのも、それとほぼ同じような形で軍事対立をとらえていたためだった。

(翻訳:水谷淳)

ジェイムズ・ポスケット ウォーリック大学准教授

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James Posckett

ウォーリック大学准教授。科学技術史が専門。ケンブリッジ大学で博士号を取得し、ダーウィン・カレッジのエイドリアン・リサーチ・フェローシップを取得した。『ガーディアン』『ネイチャー』『BBCヒストリーマガジン』などに寄稿し、インドの天文台からオーストラリアの自然史博物館まで、世界各地を調査のために訪れている。2013年にはBBC新世代思想家賞の最終選考に残り、2012年には英国科学作家協会による最優秀新人賞を受賞している。著書に学術書『Materials of the Mind』がある。

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