明治期の日本人は進化論をどう受け止めたか? 政治思想にも影響を与えた「生存競争」の概念

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東京大学を卒業した石川は1885年、ドイツ留学の道を選んだ。

このときすでに政府は、このまま外国人科学者を日本の大学に雇いつづけていたらあまりにも費用がかさみすぎると判断していた。

そこで文部省は、優秀な学生を海外留学させて進んだ科学教育を受けさせたらどうかと提案した。彼らが帰国したら、全国に新設された大学で教職に就かせるというもくろみである。

「先進国に人材を派遣して学ばせない限り、日本は進歩しない」と文部大臣は言い切った。このあといくつかの章で見ていくとおり、19世紀末から20世紀初頭にかけて大きな影響をおよぼした日本人科学者の多くは、外国、おもにイギリスやドイツ、アメリカ合衆国でしばらく学んでいた。

石川はその先駆けの一人で、1885年から1889年までフライベルク大学でドイツ人生物学者アウグスト・ヴァイスマンに師事した。

当時ヴァイスマンは「生殖質理論」を発展させている最中で、精子と卵子によってのみ伝えられる何らかの遺伝物質が存在するはずだと予想していた。

その主張によってヴァイスマンは、生きているうちに獲得した特徴が子孫に受け継がれるという、ダーウィンも支持した古い学説に異議を唱え、現代遺伝学の基礎を築いた。

石川が見つけた細胞分裂の名残

そんなまさに重要な時期に石川はフライベルク大学で学んだ。ヴァイスマンと共同研究もおこない、ドイツを代表する学術誌に6本の共著論文を書いた。

うち一本の論文では、半透明の小さな海洋生物ミジンコの体内で生殖細胞が分裂する様子を観察した結果を報告している。

顕微鏡でミジンコを観察していたところ、卵子が分裂する際に、その端に2個の小さな黒い点が作られるのに気づいた。染色体の複製と細胞の分裂によって生殖細胞が作られる、「減数分裂」と呼ばれるプロセスを観察したのだ。

石川が見つけた黒い点は細胞分裂の名残だった。のちに「極体」と呼ばれるようになるその構造体は、ヴァイスマンの生殖質理論を裏付ける重要な証拠となる。精子と卵子が体細胞とは異なる細胞分裂によって作られるというヴァイスマンの主張が正しいことを示していたのだ。

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