合理化といっても、それはあくまで組織の利益上のことであり、この場合、従業員たる家臣や国民の利益は考えられていない。したがって、いわゆる「富国強兵」によって国力が上昇したとしても、そこには不安定な国民の経済生活と、明日をも知れぬ不安が渦巻いており、かつ経営陣たる君主や大臣であっても、能力に不足があると見られれば、その地位を剥奪され、場合によっては殺される事態となる。
功利が行き着く先は、たえまない競争と弱肉強食の社会であり、国家のソフト面を支えている国民の規範意識や倫理観を破壊した結果、不正や汚職、反乱などの不安定要素にかかるコストが膨れ上がり、当初こそ羽振りの良かった国々は、最終的に滅亡の道を歩むこととなった。つまり、功利が主張していた規範や倫理の「合理的」維持は、まったく起こらなかったのである。
「功利」の闇
この歴史を見る限り、今回問題となった2つの企業は、致命的な間違いを犯している。
それは、一族経営による、ガバナンスやコンプライアンスの軽視によって、組織の管理監督が行われず、規範意識や倫理観の欠如が発生し、組織の利害調整や価値観調停が行われていなかったことである。
これにより、従業員へのパワハラ、性被害といった人権侵害が行われ、従業員のみならず、顧客の利益をも失ってしまった。これは、古代王朝にすら存在した、「公器」としての機能が存在せず、あくまでも経営陣の私益を追求するだけの私的集団となったことを意味する。
すなわち、この集団では株主、経営陣、従業員、顧客が、その業務に関係することで得られる利益や満足は、あくまでも一部の人間の欲望を満たすためのものとなるから、つねに誰かの利益と満足を犠牲にして成り立つこととなり、たとえその被害が従業員や一部顧客に限られたものであったとしても、それが際限なく拡大していくと、やがては多くの人々に被害をもたらす事件を引き起こす可能性が高いものである。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら