また、これら企業が今日まで隆盛を誇った理由は、その業務によって多大な利益をあげており、その利益を共有する他の企業や個人が、その利益をもって評価し、ガバナンスやコンプライアンスの欠如を、相対的に問題としなかったことである。
これは正しく「功利」にもとづく判断であり、一族経営でない関係企業だとしても、それをチェックし、是正するはたらきかけができなかったことに注目すべきである。つまり、「功利」的社会が一族経営による私益を守ってきたのである。
そうした時、問題の焦点は「功利」にこそあることが理解できる。現在、2社に対する風当たりは強くなり、CMやスポンサーの撤退を通じた圧力が生じているが、それも輿論の反発によって、自社の利益に影響が出ることを天秤に掛けた結果であり、本質的解決のない「功利」的行動にほかならない。こうして日本社会にはいつまでも、口にするのも憚られる闇が残るのである。
「功利」の克服と「礼」の回復
中国の歴代王朝では、その誕生時こそ君主のカリスマがものを言ったが、代を重ねるにつれて組織や規範の整備が進み、システム化された体系の中で、次第に君主を象徴的存在にしていった。それは、その組織に関わる人が多くなり、その動きに左右される人が増えることで、必然的に起こる動きであった。
ここでは礼による規範の設定にはじまり、制度や法令が明文化された。こうして王朝は国民全体の利害を調整し、価値観を調停することが可能となる。この時、王朝は君主の私的権力機関よりも、「公器」としての性格を強める。
ただ、時代の流れに応じて、そうした規範や制度にもぶれが生じ、過剰な変革や停滞によって、行き先が見えなくなることがある。その時、評価が分かれて対立を生みやすい実質的な指導者に代わり、王朝の理想を体現する象徴として、人々をとりまとめるのが君主である。君主を通じて人々は、在りし日の理想を感じ取り、現在の政治の是非を越えて、国家が再生することに期待をかける。
そうした機能を無視して、みずからが意志決定に積極的に関与し、実質的な指導者となろうとした君主は、おしなべて独裁者として忌み嫌われ、やがて王朝そのものに対する信頼を失っていく。何故なら、たとえその独裁が上手くいったとしても、現実に撤廃しがたい理不尽による不満の矛先は、実質的指導者たる君主に向かうからであり、最終的にどこかでミスをすると、一気に王朝批判につながるのである。
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