ここにおいて人々は、礼にもとづく言動を通じて、その形に込められた心を感じ取ることが可能となり、目に見える形を通じて誤解なく意思疎通し、協働することが可能となったのである。つまり、礼は人々の利害や価値観の最大公約数を設定し、誰もが納得(あるいは妥協)できるラインを視覚化したものであり、そこには形と心、すなわち規範と倫理が備わっているものでなければならなかった。
これはいわゆるガバナンスやコンプライアンスと共通する発想であり、またそこに組織の安定を見いだした思想表現であった。
「功利」と社会の崩壊
ところが、礼を基盤とする王朝は、崩壊の時を迎える。それは、礼の制定者である「王」が、みずから礼を破ったことではじまる。王は世襲制によって国家を統治していたため、優れた王もいれば、暗愚な王も存在した。
本来であれば、どの王が即位しても、恣意的な意志決定ができないようにするための礼であったが、暗愚な王が恣意的な運用を行った結果、国家統制が崩壊したのである。周囲は礼を守ることよりも、礼を破ることで利益を確保しようと考え、互いに争うようになり、それは価値観の違いによる憎悪によって増幅され、ついに数百年にわたる国家の分裂と戦乱へと発展していった。
この時、人々に起こった新しい考えが「功利」である。
これは、成果をあげ、利益を出すことが最も正しいことであり、成果や利益がないものは、何を言っても、何をしても、何の意味もないという考えを意味する。
これにより、礼は不要な規制によって功利を妨げ、既得権益を守るための障碍だと非難され、身分にかかわりなく、能力のあるものが上に行くことが尊ばれた。この時、組織のありようも変化し、組織は利益追求を至上価値とする一方、能力のない者や資産の少ない者を切り捨て、戦乱を生き残るために最も「合理化」された姿を目指すようになる。
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