そして、その通りに大学、大学院へと勉強し続けた結果、芸能界以外の仕事もできるようになり、仕事の幅が広がり、社会活動をするときも周りから信頼されるようになりました。そのおかげで、年を重ねても、自分の世界を持てるようになりました。
父のおかげで向学心が植え付けられ、今も学ぶのが大好きで、新しい知識を得るときはときめきがあります。
もしあのとき、そのまま芸能界に残っていたら、燃え尽きてしまっていたかもしれません。
長く、楽しく、生きるためには、お金や名声にこだわるのではなく、一生の宝である「頭に入る知識」を求めるべきですね。
憎い相手の幸せを祈るということ
ただ、父から言われた言葉のなかで、実行することが難しい言葉もあります。
それは「いじめられたとき、裏切られたときこそ相手の幸せを祈ろう」というものでした。
いじめられたら、悔しいし、できれば仕返しをしたいのが普通です。それなのに、その人の幸せを祈るなんて、とてもできないと思いました。
「憎い相手なのに、どうして幸せを祈るの?」と父に聞くと、「人をいじめる人は、自分の人生が不幸せで、心が狭いことが原因なんだよ。その人が幸せになれば、他に楽しいことがいっぱいあって、あなたのことをかまっている暇がなくなるから」と言っていました。
今ではなんとなく理解できますが、若いときは本当に理解できなかったです。仕返しまではしなくても、涙を流して、「悔しい、悔しい」と思ったりしました。
大学生になって、心理学を学ぶようになって、少しずつ父の言葉が理解できるようになりました。
自己肯定感の低い人は、人をいじめることで優越感を得たり快感を覚えたりします。
とはいえ、その優越感は一時的なものなので、また人をいじめたくなります。その繰り返しで、いじめがエスカレートしていくのです。
でも、もしいじめる人の人生が何かのきっかけで満たされるようになり、自分のことを好きになって、自分を受け止めることができれば、人をいじめて快感を覚える必要がなくなり、もっと前向きに生きることができるのです。
だから、父の言う「その人の幸せを祈る」は正しかったのです。
根本的にいじめっ子を治すためには、その人の心の冷たいところを、愛情で溶かすしかないのです。
それが自分でできるのならいいのですが、そうでなければ、「祈る」しかないですね。決して、積極的な解決法ではありませんが、父の言う通りだと思いました。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら