人気絶頂期の歌姫があえて「留学」を選んだ事情 移り変わりの激しい芸能界で生き残れた「父の言葉」

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「え? 私は欠陥商品なの?」ってすごくコンプレックスを持っていました。そんなこともあり、子どもの頃は自己肯定感が低かったですね。

それが変わったのが、中学生のときに始めたボランティア活動でした。いろいろな施設に行って、子どもたちと話をしたり、一緒に遊んだり。この活動ですごく性格が変わりました。

みんなの前で話をすることすらできなかったのに、フォークソングクラブで覚えたギターを弾いて、子どもたちに歌を歌ってあげたりしていたんですから。募金を集めようとチャリティーコンサートで歌っているうちに、だんだん話題になり、スカウトマンがうちに何人も来るようになったんです。自分でもびっくりでした。

でも父は大反対。最初にスカウトマンが来たとき、父は包丁持って追い返していました(笑)。でも、しっかり勉強もすることを条件に最終的には許してもらいました。

人気絶頂期に留学を決意

14歳で香港でデビューして、いきなりアイドルになりました。17歳で日本に来て、それもおかげさまで、ヒット歌手の仲間入りをしました。

毎日忙しくて、食べることも、寝ることも満足にできずに働いていました。日本でフル回転で仕事をして、故郷の香港に帰ってもさらに忙しく働いていました。

父はそんな私の姿を見て、怒ってしまったんです。

「このままでは自分を見失います。誰も君のことを知らないカナダへ留学して、頭を冷やしなさい」と父が言い出したのは、私が20歳になったときでした。

仕事が絶好調のときだったので、周りは大反対でした。

そこで父が言った言葉が胸に響きました。

「お金や名声は流れもの、奪われるもの。でも、一度頭の中に入った知識は一生の宝、誰からも奪われない」

という言葉でした。

昨年デビュー50周年を迎え、68歳になった今でもコンサートや講演に飛び回る(写真:本人提供)

「勉強できるときには、ありがたく勉強しなさい」とも言われました。「なるほど」と、そのときは本当に納得しました。

それを信じて、一時期芸能界をやめて、カナダへ留学しました。それが私にとっての人生の大きな転換期だったな、と今までの人生を振り返ってみて実感しています。

そのまま芸能界に残っていたら、今の私はいないと思います。知識を得る楽しさ、大切さをその言葉から学びました。

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