◎「直線の国境」が紛争の種に
アフリカは、近年の経済成長にもかかわらず、いまだに紛争の多い大陸のままである。その背景には、54を数えるアフリカの国々のほとんどが、ヨーロッパ諸国の植民地となった歴史が関係している。
フランスがサハラ砂漠西部からギニア湾岸、イギリスがアフリカ大陸東部、ベルギーがコンゴ盆地一帯、ポルトガルが現在のアンゴラなど、ヨーロッパの国々が植民地支配した。そのため、当初は植民地の境界を定めるために便宜的に引かれたラインがそのまま国境線となり、独立国家となった。
アフリカの44%が直線の国境線
アフリカの国境線は直線状になっているものが目立ち、大陸全体の国境線の44%が直線である。民族分布と無関係に国境線が引かれたことで、民族間のパワーバランスに不均衡が生じることになった。
こうした不安定要素が、主に国内での紛争を引き起こしている。
たとえばルワンダでは、多数派のフツ族と少数派のツチ族との間で主導権をめぐる激しい衝突が起こり、1994年には約100日間で80万人以上が殺害されるという大虐殺が起こった(ルワンダ虐殺)。
またスーダンでは、北部のイスラム系住民と南部のアフリカ系住民の対立から「アフリカ最長の内戦」と呼ばれ、約200万人の死者を出した南北内戦が起きた。その後2011年には、住民投票を経て南スーダンとして独立を達成したものの、油田の権益をめぐって両国間で争いが続いている。
また、西部のダルフールではアラブ系遊牧民とアフリカ系農耕民の対立から、2008年までに30万人以上が犠牲となるダルフール紛争が起こった。こうした民族・宗派間での衝突は、時に鉱産資源の利権がかかわることで激化し、東西陣営の介入があることで長期化する。
ナイジェリアでのビアフラ紛争(1967~1970年)は油田の支配権をめぐって激化した例であり、アンゴラ内戦は、アメリカ合衆国、ソ連、中国など他国が介入して長期化した例である。
一方で、急速な発展を遂げた国もある。ルワンダでは内戦終結後、高度人材の育成を進め、「アフリカの奇跡」と称される驚異的な復興を遂げた。女性の社会進出もめざましく、国会議員の約6割にも達する。
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