書評家という、ある意味読書感想文を書くのが仕事、のような人間として、「読書感想文を書く面白さはどこにあるのか」と聞かれたら、私はこう答えます。
自分の体験抜きで、自分の意見を言葉にできる
「自分の考えを、自分の体験抜きに書けるのって、面白い」ということです。どういうことでしょうか。詳しく説明しましょう。
私たちは普段、自分の思っていることを他人に伝えようとします。たとえばお腹が空いた時、お母さんにお腹が空いたと伝える。昨日のバラエティー番組が面白かった時、友達に昨日の番組見た? と聞いてみる。
しかしまとまった自分の考え――たとえば自分がこう生きたいとひそかに考えていることや、昔経験したけれど実は嫌だったことやうれしかったこと、あるいは体験したことを通して培った自分なりの価値観――を他人に伝える機会は、実はあまりありません。
いや、もちろん伝えてもいいのですが、大抵の学生さんにとって、そんな機会はなかなかないのではないでしょうか。それは日本の学校教育が「自分の意見をしっかりまとめて言葉にする」ことをあまり重視していないからです。
たとえば調べたことをまとめたり、聞いたことを要約したりする授業はしばしばあるでしょう。あるいは正解を当てることは普段からやっているはずです。しかし、本当に自分の意見や価値観をまとめて言葉にする機会は、めったにありません。日常会話でも、なかなかないですよね。
だけど、大人になっていく過程で、学生さんたちもいろいろと内心思うことはあるはずです。まとめて言葉にする機会はないだけで。言語化されていない自分だけの価値観や感情が、たくさんある。
では、それらを学校の通常の作文に書けるか? と聞かれると、私はノーと答えたくなります。なぜなら「作文」とは、自分の体験を書くものだとされているからです。
第3回でお伝えした「学校の授業では、基本的に読書感想文を体験込みで書くことを求められている」話も同様ですが、どうにも、日本の作文教育は、「日記」のような体験を言葉にすることを重視しがちです。もちろん自分の身に起きたことを的確に描写する能力は必要ですが、そればっかりだと、自分の体験抜きで自分の意見を言葉にする機会は少なくなってしまいます。
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