「らんまん」残り1カ月でも主人公の存在感薄い訳 主人公が何かを成し遂げる作品とは違う魅力

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万太郎のように、好きなことにかまける人物は、たとえ主人公であっても自分本位であると視聴者は批判する。だがそれをドラマのなかで、たまにチクリと皮肉る人物がいても、あくまでユーモアの範囲で、万太郎のせいでひどい目にあっている人物がいるという見せ方はできるだけしないように配慮がされている。

本来、最も主人公の犠牲者に見えそうなのは、寿恵子。中盤以降のドラマの求心力は寿恵子が担っていると言っていい。ドラマの中盤で寿恵子は万太郎と結婚し、子どももできた。寿恵子は夫が大好きで、喜々として家計の苦労を買っているように見える。寿恵子は、夫は必ず大成すると信じていて、安普請の長屋に住みながら楽しく暮らし、持ち前のガッツでお金の工面をする。それを冒険と考えているのだ。

そして借金とりから逆に投資させたり、料亭のお歴々の菊づくしの催しで貴重なノジギクを実業家・岩崎弥之助(皆川猿時)に買い取ってもらったり、芸者が来るまで『南総里見八犬伝』をひとくさりして客を喜ばせ心付けをたくさんもらったりと、寿恵子はまるで主人公のように活躍している。

『らんまん』に感じられる大河ドラマの要素

8月末現在、『らんまん』では、万太郎のように地道なフィールドワークによって植物を発見する方法は時代遅れになっていて、いまや顕微鏡で植物の内部を研究することが主流になっている。それでも気にせず、万太郎は地道にコツコツ自分の信念を貫く。

このあたりを、いかにすばらしいことか声高に物語ることをしないため、寿恵子の働きが目立ち、また、時代の変わり目に大学を去ることになった助教授・大窪(今野浩喜)の切なさに強く感情移入してしまう。

お盆の時期に、大きなピークとなった田邊の場合もそうだった。万太郎を大学出禁にするなど研究を邪魔していた田邊がなぜか憎めず、むしろ、美学を貫く姿が誇り高く魅力的に描かれた。

去っていく者、敗れた者が印象的と言われるのは大河ドラマである。戦いの話が主なので、たびたび主人公は誰かと戦って最終回まで勝ち抜いていく。各回、負けた人物が印象的に描かれるのが大河ドラマだ。序盤から『らんまん』は、大河ドラマのようだと言われていたが、その所以は、幕末から明治時代の歴史を描いているだけではなく、滅びゆく者の美学を描いている点にあるだろう。

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