「子どもたちに『行ってらっしゃい』が言いたいから、最後まで自宅で過ごしたい」
これは、自分の余命を知った陽子さん本人から伝えられた希望です。陽子さんは「自分が死んでいくところも、子どもたちに見せたい」「死んでいく様子を見せることも、母親としての大切な役割だと思う」という明確な意思を持ち、病院や施設ではなく、自宅で最後まで過ごす選択をしました。
自分に残された時間が、あとわずかしかないという現実を前に、「今私にできること」を最優先に考えるその姿に、家族も私も、とても勇気づけられました。
子どもたちのためにできることを
出会った当初の陽子さんは、どちらかというと精神的に少し不安定なところがあり、なかなか物事を決められず、どこかフワフワしている印象でした。だからこそ、家族もなかなか本人に現実を伝えられずにいたのです。
ところが、自分の余命を受け入れてからの陽子さんは、急にお母さんの顔になり、できないことを嘆くのではなく、今できることを考えて行動しようという気丈な振る舞いに変わりました。自分が今、子どもたちのためにできることを第一に考え、最期の時間を過ごしたのです。
不思議なことに、陽子さんは現実を知ってから、つらい痛みが和らぎ、ぐっと穏やかになりました。自分がどういう状況にいるのかがわからないという不安から解き放たれほっとしたことで、楽になれたのかもしれません。
陽子さんが家族に見守られながら、自宅で息を引き取ったのは、それから1カ月後のこと。陽子さんはあのとき、自分の状況を知ったからこそ、自分なりに死に向けた準備をしたうえで最期を迎えられたように思います。
本人への告知には大きな葛藤を抱えていた家族も、看取ったあとには「あのとき、伝えられて良かった」と話していたのが印象的でした。
余命があと少しという現実は、残念ながらどうあがいても変えることはできません。しかし、その現実は変えられなくても、それからの時間をどう過ごすかは自分次第であることを、身をもって教えてくれた患者さんでした。
変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。
変えることのできないものについては、それを受け入れる冷静さを与えたまえ。
そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、識別する知恵を与えたまえ。」
これはアメリカの神学者、ラインホルド・ニーバーの祈りの言葉で、私がとても大切にしている言葉です。変えることのできるものを変え、変えることのできないものを受け入れて最期を過ごした陽子さんは、まさにこの言葉を体現した患者さんだったと思います。
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