福島県民は、東電と国に裏切られ続けてきた--佐藤栄佐久・前福島県知事
原子力発電所の問題などをめぐり、霞が関の方針と真っ向対立。「闘う知事」と言われ5期18年を務めた、佐藤栄佐久・前福島県知事。被災した自宅で、東京電力そして国との闘い、その変わらぬ体質を語った。
今回の原発事故は住民の生命身体に直結する大惨事にもかかわらず、いち早く正確な情報が必要となる地元自治体への東電の対応は、後手に回っている。実際、被災地の市長や町長に尋ねても、皆テレビの情報が頼りだと言う。なぜこうした本末転倒な対応がまかり通るのか。
実は私も知事就任早々の1989年、福島第二原発で起きた部品脱落事故のときに同様の体験をしている。前年の年末にはすでに事故が判明していたのに、東電から連絡があったのは正月休み明けの1月6日。しかも、「まだ炉心に金属片が残っているが、運転には差し支えない」などと言い放った。
住民の不安感などまるで意に介さない姿に、原発政策において、地元はまったく蚊帳の外なのだと思い知らされた。
その後も東電や国には裏切られ続けた。93年、東電は第一原発の敷地内に使用済み燃料の一時的な保管プールの設置を求めてきた。対応を間違えると最終処分場にされかねないと懸念して、当時の通商産業省の担当課長から「2010年から撤去する」との言質を取ったうえで承認した。
ところがその1年後にはあっさりと反故にされてしまった。もはや原子力政策は国や電力会社だけに任せてはおけないと痛感させられた。
水素爆発を起こした第一原発の3号機では、使用済み燃料を再利用するプルサーマル発電が行われていた。一度は条件付きでこれを了解したが、燃料データ改ざんや核燃料サイクル計画の破綻が明らかとなったため、知事辞職までプルサーマルの拒否を貫いた。現知事は昨年夏に受け入れを表明したが、その直後に使用済み燃料の再処理工場(六ヶ所村)の完成延期が発表された。またもはしごを外された。