産後うつで2カ月入院「助けて」ママ友に出せたSOS マシンガンズの滝沢秀一さんの妻友紀さんが語る「産後」

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「ママ友は『わかった』とだけ言うと、すぐに知り合いの助産師と保育士を連れてきてくれました」

駆けつけた人たちが分担して家事や子どもの世話をしてくれたおかげで、友紀さんはようやく休息を取ることができた。さらに病院へ行くよう勧められた友紀さんは、受診した病院で産後うつと診断され、2カ月の入院を余儀なくされた。

友紀さんが病院を受診した際は、ママ友の勧めで「子どもショートステイ」を利用した。子どもショートステイとは、自治体が実施する最長7日間の宿泊型一時保育で、宿泊先は自治体の乳児院だ。

生まれたばかりの長女をよく知らない施設に預けるのは気が引けたが、心身共に限界だった友紀さんは利用を決意した。しかし、病院を受診してすぐに入院が決まったため、長男は義実家に、長女はそのまま乳児院に預けられることになった。

入院初日、静まりかえった病室で1人、食事をとっているとき、ふと我に返り、子どもたちへの申し訳なさで涙が溢れた。しかし、育児ができる状態にないことは、明白だ。「『子どもたちのためにも休まなければ』と、最初の2週間は泥のように眠りました」。休息を取ると次第に食事が喉を通るようになり、友紀さんの心身はみるみるうちに回復していった。

2カ月にわたった入院中、回復するにつれて何を思い、どのように過ごしていたのだろうか。

「子どもたちのことが心配で早く会いたい気持ちと、退院するには休まなければならない現実とのあいだで葛藤していました。だから、子どもたちに『離れていても、大切に想っているよ』とひたすら手紙を書いて、葛藤と戦っていました」

なかなか家族が揃わなかった退院後

「退院したら、すぐに家族4人の生活に戻れる」と思っていたが、現実はそうではなかった。乳児院に預けられた子どもは、段階的に家庭復帰を図ることになるため、長女とはすぐに一緒に暮らせなかったのだ。

「退院後、乳児院に初めて面会に行ったとき、長女に大泣きされちゃったんです。職員の方の抱っこで笑顔に戻る姿を見て、『責められている』と感じました」。面会帰りは毎回、泣きながらバスに揺られた。

家族4人の生活になかなか戻れず悶々とした日々が続いたが、ある日、友紀さんに契機が訪れる。長女の生後100日のお食い初めを乳児院で祝ってもらった日のことだ。

「たくさんの職員の方々に囲まれて笑う娘を見て、『愛されて育ててもらっているんだ』と、改めて感じました」。その日から、「娘が『一緒にいて楽しい』と思える人になろう」と決意し、面会にも前向きに臨むようになった。

退院から半年後、ようやく家族4人の生活に戻った。友紀さんは「もう二度と子どもたちと離れない」と誓い、職場復帰までの1年間、離れて過ごした期間を埋めるように子どもたちとの時間を大切に過ごした。

「家族が揃わずつらい期間もありましたが、今は助けてくれた人たちや乳児院の方々に、感謝の気持ちでいっぱいです」

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