産後うつで2カ月入院「助けて」ママ友に出せたSOS マシンガンズの滝沢秀一さんの妻友紀さんが語る「産後」
不安だらけの育児がスタートしたが、夫は早朝からゴミ清掃員の仕事、夜は芸人として舞台に立つため、ほとんど家にいない。友紀さんは、実母の手を借りることにした。
「高齢の母に頻繁には手伝いを頼めなかったが、『あと●日頑張れば、手伝いに来てくれる』と思うと頑張れた」
そして4年後、46歳で長女を出産。母子ともに健康で、2人目の育児は滑り出し好調だった。しかし退院後、初産の時と異なる育児環境に戸惑うことになる。
「2人目の出産後は、実母の事情で手伝いを頼めなかったんです。夫も仕事で朝から晩まで不在だったので、家事育児のすべてを私1人で担うことになりました」
1人目出産後は赤ちゃんと一緒に自分も休めたが、2人目出産後は赤ちゃんが寝ている間も、赤ちゃん返りした長男の世話や家事に追われた。とくに食事は「長男にはきちんとしたものを食べさせなければ」と手作りしていたが、長時間立っていられずキッチンにしゃがみ込んでしまうことも多々あった。
「今となっては、『もっと肩の力を抜いて、休んで』と思えますが、当時は産後のホルモンバランスの影響と、1人ですべてこなさなければならない使命感から『子どもたちのために、私が頑張らなきゃ』と必死でした」
サポート依頼の雑務や費用が負担に
出産前、自治体のファミリーサポートや民間の産後ヘルパーを調べていた友紀さんは、退院後に長男の保育園の送迎を週5日、掃除や食器洗いなどの簡単な家事手伝いを週に数日依頼した。しかし、まだ幼かった長男は、毎日知らない人がやってくる環境に慣れず、サポーターやヘルパーが迎えに来るたび大泣きした。
「同じ方に毎日来ていただければ長男も安心できたかもしれないが、サポート側も人員不足でそうもいかなくて。ヘルパーさんたちに申し訳なかったし、長男の小さな心に負担をかけていると思うとつらかった」
産後、1人で踏ん張ってきた友紀さんだったが、長女の1カ月健診を境に少しずつ「疲れた」「休みたい」と感じるようになった。さらに、費用の問題で産後サポートを依頼できなくなると、友紀さんの身体に異変が起き始めた。
「最初は両腕がビリビリと痺れて、子どもを抱っこできなくなりました。そのうち、疲れているのに眠れなくなり、ご飯も食べられなくなったんです」
長男の送迎時、ママ友や担当保育士に会うと勝手に涙が溢れた。その頃には、理由のわからない焦燥感から家の中を徘徊するようになっていた。
「自分でも『おかしいな』と感じていましたが、何かアクションを起こす余力すら残っていませんでした」
ある朝、「手が痺れて子どもを抱っこできない」「今日は仕事に行かないで」と秀一さんに訴えた。しかし、2人目の子どもが生まれ、生活費を稼ぐことに必死だった秀一さんは、「何とかなるだろう」と仕事に出かけてしまった。家に残された友紀さんは、気付けばママ友に「助けて」と連絡していた。
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