「となりのトトロ」誕生秘話とジブリ苦闘の歴史 公開を反対され、スタッフ確保に奔走もした

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宣伝面では、コピーライターの糸井重里が新たに参加した。これは実は、徳間と新潮両社の関係者でキャッチコピーを作ろうとしたが、意見がまとまらず、ならば専門家に依頼しようということで、1980年代初頭から「不思議、大好き。」(西武百貨店)などで脚光を浴びていた糸井に依頼することを鈴木が決めた。

糸井には、それぞれの作品のコピーと2本をつなぐ全体のコピーの3本が依頼された。全体コピーは「忘れものを、届けにきました。」。糸井は、このコピーに、2つの作品が描く舞台が現在と地続きの過去である、という意味を込めたという。

『火垂るの墓』は、当初「七輪一つと、蒲団、蚊帳。それに妹と蛍。」という案もあったが、最終的に「4歳と14歳で、生きようと思った。」に決まった。『となりのトトロ』のコピーは「このへんないきものは、もう日本にいないのです。たぶん。」だったが、「このへんないきものは、まだ日本にいるのです。たぶん。」と改められた。

となりのトトロ
印象的なキャッチコピーがついた『となりのトトロ』の映画ポスター(©1988 Studio Ghibli)

コピーに「たぶん」をつけた理由

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この経緯について糸井は、『アニメージュ』1988年5月号のインタビューで「現実には、もういないんじゃないかなと、ぼくなんかは思うわけです。ただ宮﨑さんが『そうかもしれないけど、いると思って作りたい』とおっしゃって、確かにそう思ってないと映画は作れないと思ったんですよね。(略)ただ、やっぱり『たぶん』はつけざるをえないんですね」と話している。

なお糸井は制作期間中に娘を連れて、ジブリを訪問しており、この時の声と話し方の印象が宮﨑に強く残ったことが、サツキとメイの父親役への起用につながった。

この後、糸井はジブリ作品のキャッチコピーを一貫して担当していくことになる。

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