「となりのトトロ」誕生秘話とジブリ苦闘の歴史 公開を反対され、スタッフ確保に奔走もした
最初は難色を示された「トトロ」
『天空の城ラピュタ』の成果を踏まえ、宮﨑駿監督による新たな作品の準備が始まったのは1986年秋。宮﨑が描いた1枚のイメージボードに鈴木敏夫が着目し、映画化を提案したことがきっかけだった。
そこに描かれていたのは、雨のバス停で傘をさして父を待つ女の子と、頭に大きな葉を乗せて立つトトロ。宮﨑にとっては、テレビのスペシャル番組の構想の1つとして描いた絵だったが、1970年代後半から温めていた企画でもあったという。
その物語は、まだTVが普及する以前の東京の郊外を舞台に、そこに引っ越してきた女の子と、森に住むふしぎなおばけの「トトロ」との交流を描くというもの。ちなみに「トトロ」のイメージボードは、1983年3月に出版された『宮崎駿イメージボード集』や、『アニメージュ』1983年9月号の付録「風の谷のナウシカ/宮崎駿イメージボード集」として既に世に出ており、一部のファンにはその存在は知られていた。
しかし『となりのトトロ』の企画は、スタジオジブリの親会社である徳間書店から難色を示された。企画そのものが地味で、『風の谷のナウシカ』『天空の城ラピュタ』という「宮﨑駿=SF活劇」という路線とは大きく違う企画だったのも、主な理由の1つだった。徳間サイドからは、映画ではなくビデオ企画ならばOKを出してもよい、という提案もあったそうだが、鈴木はあくまで映画化にこだわった。