「となりのトトロ」誕生秘話とジブリ苦闘の歴史 公開を反対され、スタッフ確保に奔走もした
実質的にジブリ作品の企画を担当していた鈴木は、『トトロ』の企画が上層部で拒否された後、さらに案を練った。そこで浮上したのが、別作品との2本立て興行であれば、徳間書店幹部を説得できるのではないかというアイデアだ。この時、同時上映作として鈴木が提案したのが、野坂昭如の小説『火垂るの墓』のアニメ化だった。
『火垂るの墓』の企画の発端は、この2本立て案の以前、1986年1月にまで遡る。『天空の城ラピュタ』制作中の当時、同作品でプロデューサーを務めていた高畑勲が、『アニメージュ』編集部を訪れたのがきっかけだった。
この時、尾形英夫編集長が高畑に「日本が戦争に負けて、大人たちが自信を失っていた時に子供たちだけは元気だった。そういう映画をやりませんか?」と話を持ちかけたのだ。高畑はこの提案に興味を示し、尾形の提案に沿う原作を、副編集長の鈴木らとともに探し始めた。
当初、高畑からは村上早人によるエッセイ『日本を走った少年たち』を原作とする提案も出たが、やがて頓挫。魅力的な作品はなかなかみつからなかった。
そんなある日、鈴木が19歳の秋に読んだ野坂昭如の小説『火垂るの墓』を提案したところ、本を読んだ高畑が「ぜひアニメにしてみたい」とこれを承諾。高畑による『火垂るの墓』の映画化企画が始動することとなった。本を一読しただけで映画化を決断するのは、高畑にとっては珍しいことだった。
「この2本でジブリが最後になってもかまわない」
このような経緯を経て、『となりのトトロ』と『火垂るの墓』は、60分程度の中編による2本立て企画として、まとめ直された。宮﨑の担当だった『アニメージュ』編集部の亀山修が『トトロ』の、鈴木が『火垂るの墓』の企画書をまとめた。
だが、この企画もまた良好な回答を得られなかった。この時、鈴木は徳間書店の山下辰巳専務から「オバケだけならまだしも、さらに『墓』とは何だ!」と叱責されたという。
再び企画は膠着状態となったが、『火垂るの墓』の版元である新潮社がこの企画に大きな関心を寄せたことが突破口となった。
きっかけは、亀山と新潮社の初見國興が知己だったこと。鈴木がそこに目をつけ、1986年10月、亀山を通じて『火垂るの墓』を新潮社で製作できないかという打診をした。当時、新分野への挑戦の機運が高まっていた同社は、この徳間側からの提案を前向きに受け止めた。