昭和の名俳優として知られる沢村貞子(さわむらさだこ)との着物対談では、
「私(沢村)、高いものは着ないんです。なんとか安くあげようと苦心するんです」という沢村の言葉に、
「いいものがわからないわけではないのね。いいものを身に着けようとは思わない。それがあなたの福分なのね」(『幸田文対話』岩波現代文庫)と返しています。
初めて耳にする言葉でしたが、いい言葉だなと感じました。「福分」とは仏教の言葉で、「仏教、善行、修行の結果が現世で利益の形になったもの」だそうです。または単に「よき運、よき天運」ともあります。
私は、それを「値段も種類も着方も自分に合っていることがいちばんその人を幸せにする」と解釈しました。「修行・善行」と言うにはおこがましいけれど、それを「工夫」「始末=ものを使い切る」と言い換えてしまいましょうか。「工夫、始末の結果が現世で利益の形になった」と。
福分を超えた人との付き合い方
着るものだけではなく、それは衣食住全般、また人付き合いにも同じことが言えます。自分の「福分」を超えた人とはもう無理に付き合わない。それがその人を幸せにするのだと思います。
若いときには、無理も背伸びも成長の過程ですから、ある程度は必要なことだと思います。でも、それが自分を悲しい気持ちにさせる、自分を惨めに感じさせるものなら「福分」に戻る。そのような心がけでいると、心も楽に生きれるような気がします。
残り少ない時間ですから、もう背伸びも無理もしないで、のびのびと暮らしたい。そう思ったとき、おのずと無理な人付き合いも遠のきました。
節約生活をするまで、すっかり忘れていた「福分」という言葉。それを実行したとき、「今がいちばん幸せ」であると感じたわけがわかりました。そして、それは私にさまざまな「よき運、よき天運」をもたらしてくれたのです。
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