ブログで節約生活を公開したところで、年金の金額は変わりません。高いもの、ほとんどのものは買えない。この「買えない」は心にわだかまりを作り、余計に「欲しい」を刺激します。人は天邪鬼(あまのじゃく)なところがあり、「買えない」となると「買いたい、欲しい」という気持ちが強くなるようです。買えない自分はかわいそうと惨めさにつながっていくこともあります。
そこで私は「買えない」を「買わない」にマインドチェンジしたのです。「買えない」の「え」を「わ」に変えることにより、お金がないから「買えない」ではなく、自分の意志で「買わない」、と気持ちを切り変えました。
すると不思議なことに、欲求不満や惨めさより、自分の気持ちを自分でコントロールしているとの充足感に満たされていったのです。
自分の考え方1つで、同じ生活が楽しくもつらくもなる。言葉を変えることによって、考え方も自然と変わるのだと実感しました。
以前は「本当に5万円で暮らしているんですか?」と聞かれると恥ずかしい気持ちもあったのですが、最近は「そんなに生活にお金はかかりませんよね?」と返すようになりました。「買わない」と決めることで、「生きるのにそれほどお金はかからない」と考えられるようになったのです。
「分相応」より「福分」
子どもとの関係がいい方向に変わると同時に、「自分らしい節約」とはどんなものなのか、とより深く考えるようになりました。
お金はなくても残りの時間を慎ましく過ごす「清貧」という暮らしもあります。憧れはしますが、自分とはあまりに遠い生活です。お金はないなりに、美味しいものは食べたいし、おしゃれもしたい。毎日の生活も楽しみたい。あくまで「貪欲」な私はそう考えます。
自分にふさわしいという意味では、「分相応」という言葉があります。その人の地位や能力にふさわしい、という意味ですが、これって少し寂しいような気がします。それは私の「分」=収入があまりに低いせいかもしれません。
そんなときに、幸田文(こうだあや)の言葉を思い出しました。幸田文は、明治に活躍した文豪幸田露伴(こうだろはん)の娘で、その文章は多くの人の心を捉えました。彼女は、「分相応」という言葉を「福分」と言っています。
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