太宰の子どもたちはまだ幼かった。そしてこの小説に登場する子どもたちも幼い。しかし子育ては、決して容易ではなかった。太宰は子育てを、「子供たちの下男下女になること」と表現しているのだ。
下男下女とは、身分の高い人に雇われ、住み込み奉公する者のこと──いわば「お手伝いさん」のようなものである。子どもを育てそしてケアをすることは、子どもの下男下女になることである。そのような言葉を、太宰は晩年の短篇『桜桃』に書き記している。
そう、実は『桜桃』は、子育てに疲弊する夫婦の物語なのである。
幼い子どもたちを抱え、父は仕事をしなければいけないプレッシャーを感じ、母は家事を休むことができない疲労を感じている。その結果、夫婦げんかが勃発する。そして父は家庭から逃げるように、飲みに出かける──そんなストーリーが『桜桃』なのである。
なんとも現代にも通じるような、子育ての疲弊を父親目線から描いた小説。それが短編『桜桃』であり、そのような小説の書き出しが「子供より親が大事、と思いたい」であるのは……なかなか重たい事実だ。思いたいけど、そんなことは決して、ない。
現代よりも子育ては当然の義務だった時代
太宰の生きた時代は、現代よりもっと、子育ては当然の義務だと思われていた。しかも3人も育てるのも、当然である、と言われていた。そんな時代にあって、男性が「子育てってマジでつらい」「子育て中の夫婦げんかもマジでつらい」と吐露する小説を書いていたことに、私は些か驚いてしまう。
とはいえ、『桜桃』の語り手である父親は、決して良い父親だったわけではない。彼は「原稿仕事をするため」と飲みに出かけてしまうのだ。しかも、妻が「重態の妹のもとに行きたいから、子どもたちを見ていてほしい」と言うのに。
彼は妻に「誰か子守を手伝ってくれる人はいないか」と言うのだが、そんな人もいなかった。
と、ひとりごとみたいに、わずかに主張してみた次第なのだ。
母も、いったい、無口なほうである。しかし、言うことに、いつも、つめたい自信を持っていた。(この母に限らず、どこの女も、たいていそんなものであるが)
「でも、なかなか、来てくれるひともありませんから」
「捜せば、きっと見つかりますよ。来てくれるひとが無いんじゃ無い、いてくれるひとが無いんじゃないかな?」
「私が、ひとを使うのが下手だとおっしゃるのですか?」
「そんな、……」
父はまた黙した。じつは、そう思っていたのだ。しかし、黙した。
ああ、誰かひとり、雇ってくれたらいい。母が末の子を背負って、用足しに外に出かけると、父はあとの二人の子の世話を見なければならぬ。そうして、来客が毎日、きまって十人くらいずつある。
……なんとも、読んでいて胸が痛くなる描写である。妻目線に立てば、「人に頼むんじゃなくて、お前が子を見てろよ!」と腹を立てるところ。しかし夫目線に立てば、「家にいたら仕事の来客もやってくるし、原稿をしながら2人も子どもを世話できないよ!」という本音もうかがえる。夫婦2人での、3人の子育ては、今も昔も大変なのだ。
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