「自分は客観的」自負する人に教えたい残念な真実 体感して理解!脳は現実を誤って解釈する
例えば、道を歩いていて駐車場の出口の前に差しかかったところで、車が自分のほうにバックしてきたら、次の展開をただ待つ人はいない。反射的に避けるだろう。
一方で、脳は予期しないことへの準備も整えている。この車が急に前進しはじめて駐車しなおしたら、予測した展開と実体験との比較が無意識におこなわれ、必要なら未来予測モデルが修正される。
しかし、「起こる可能性があること」の予測にあまりに頼るせいで、脳は「現実に起きていること」を誤って解釈する傾向がある。
AとBのマス、どちらが明るい?
証拠として、次の図を見てほしい。AとBのマスは、どちらのほうが明るいだろうか? 当然、Bだと思うだろう。
※外部配信先では図を全部閲覧できない場合があります。その際は東洋経済オンライン内でお読みください
ところが実際には、AもBもまったく同じ明るさだ。
ではなぜ、そう見えないのだろうか? それは、暗がりで見た薄灰色が非常に暗く感じられた過去の経験から、影がかかることによる外見上の効果を脳が知っているからだ。
この図を見ると、ありのままの現実(2つのマスは同じ明るさである)と脳の予測(Bは影のせいで暗く見えるが実際にはAよりも明るい)との衝突が起こる。その結果、予測したもののほうが勝ち、脳は予測に合わせる形で文字どおり現実を書き換えてしまうのだ。
追加の証拠として、図に2本の線を引いてみたので次の図を見てほしい。線でつながったAとBのマスが同じ明るさであることがわかりやすくなっただろう。
目の錯覚は次のような仕組みになっている。空白を埋めるとき、脳はよく誤解する。そして、パターンに基づいた予測が外れると、混乱が起きる。そこで、すでに理解しているパターンで自動的に知覚を包み込むことで、混乱を収めようとするのだ。
この世界の速いペースについていくには、いま抱えていることに絶えず予測を働かせなければならない。それは自己保存本能の一部だ。しかし、その予測のせいで、入ってくるすべての情報がゆがむという問題がある。中でも社会的な状況では、他者の考えについての憶測が積み重なりやすく危険だ。
人は「客観的現実」が認識できると思いがちだが、実際にはそんなことはできない。脳がフィルターとプロジェクターの機能を持っているからだ。個人や集団についての推測も、正確さではマスの暗さを見分ける能力と変わりない。私たちを集合的幻想の被害者だけでなく発生源にもしている元凶が、この推測の問題だ。
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