「自分は客観的」自負する人に教えたい残念な真実 体感して理解!脳は現実を誤って解釈する
幻想に屈することは自分だけでなく他者にも影響する。近しい家族や友人とのあいだで起こる推測の誤りは所属する集団の中でも発生し、多数派の意見を読みまちがう結果となる。成功の幻影を追い求めると、行き着く先は勝者の数だけ敗者が出る、オーディション番組のような情け容赦ないゼロサムゲームだ。
しかし最大の悲劇は、「みんな」の価値観も実際には自分と違わないことにある。互いに言わないだけ、気づいていないだけなのだ。情報の氾濫、少数意見の膨張、認知的な近道のせいで、共通の価値観をともに歓迎することができないでいる。「いいね!」がつかないことを恐れるせいで、共有しているはずの現実が語られず、認識されずにいる。
このトレンドは、人類全体の危機だ。下の世代は上の世代の文化的習慣と社会的規範をもとに行動を形成するものであり、模倣によって自分は何者か、所属とは何かを理解する。ある世代の集合的幻想が、次の世代の私的意見になるのだ。
集団について思っていることのほとんどは「誤解」
いまやソーシャルメディアを避けて暮らすことはできず、またテクノロジーやメディアにこの問題の解決は期待できない。解決策は私たち自身の中にある。
まずは、集団について思っていることのほとんどは誤解だと気づくことだ。それらの幻想が自分の行動におよぼす影響も、実生活のコミュニティ・メンバーへの見方におよぼす影響も制御できる。誰にでも、かならずできるようになる。脳が社会的現実を正確に読み取ってくれると信頼することは、もはやできないと気づくべきだ。
ありがたいことに、集合的幻想は強力だがもろくもある。幻想が存在できるのは、私たちがそれを許しているからにすぎない。
力を合わせれば、幻想のない社会、全員にとってよりよい社会を実現できる。そのためには、幻想の発生と存続に対する責任を、1人ひとりで分担しなければならない。
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