「自分は客観的」自負する人に教えたい残念な真実 体感して理解!脳は現実を誤って解釈する
人は他者が何を考えているのか理解しようとつねに努力している。問題は、心の中が確実にはわからないことだ。相手の言葉や行動、それを解釈する事前知識をもとに推測することしかできない。
それゆえ、他者の考えを推測する「メンタライジング」という認知過程に全力を注ぐ。fMRI(機能的磁気共鳴画像法)を使った神経科学の実験により、社会的環境の理解に関わる脳領域(内側前頭前皮質、前部側頭葉、側頭頭頂接合部、内側頭頂葉皮質)がメンタライジングのときにも活性化することが明らかになっている。
この脳の仕組みは、高確率で間違う。読もうとしているのが集団の考えでも個人の考えでも、その推測は的外れであることが多い。そこには、他者が受けている社会的影響の強さを過小評価するという単純な原因がある。
仲間内のプレッシャーが全員に影響していることはわかっても、各自の度合いについてはわからない。怒りや恥ずかしさなどと異なり、人との関わりにおける不安は明確な素振りとして現れないからだ。
結果として、おぼつかなさ、見当違い、目立つことへの怖さが襲ってくる。そして、他者の心を読みまちがえ、気づかないうちに誤った解釈に基づいて自分の感覚と思考、行動を変えることになる。
人を傷つけないためにつく善意のうそ
すべての言葉と行動はその人の内面を素直に反映していると考えがちだが、それは単なる誤りであるため、問題はより深刻化する。
運転中に無理やり追い越されたら、なんてバカなやつだと思うだろう。実はその運転手は、愛する人との最期の別れのために病院に急いでいるところかもしれない。心を読むことは不可能なので、自分が持っている不完全な情報をもとに(間違いの多い)推測をするのだ。
他者を読みまちがえる傾向は社会的規範により悪化する。人を傷つけないためにつく善意のうそのことを考えてみれば、よくわかる。
友人の家でパーティをしているところを想像してほしい。出されたターキーの肉を口に入れると、「うわ、ぱさぱさだ」と心の中でつぶやく。
「ターキーの味はどう?」と招待してくれた友人が尋ねる。
あなたが答えるまえに、誰かが「おいしいよ!」と言い、その場の全員がうなずく。友人は満面に笑みを浮かべる。最後にあなたも言う。「うん、おいしい!」
友人への優しさがあり、友だちをなくしたくなければ、誰でも「おいしい」と言うだろう。ぱさぱさのターキーについて本音を隠すだけなら、大したことではないかもしれない。
しかし、社会やモラル、経済、政治の大きな課題について真実を伏せる行為はどうだろうか。
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