ひきこもりを40年隠し続けた家族の強烈な孤立 自己責任論から「恥ずかしくて」周りに頼れない

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子は「自分は隠されるべき存在なんだ」と思うと、精神的にもどんどん内にこもっていく (写真:mits/PIXTA)
高齢親子の共倒れや親の死体遺棄事件、「親が死んだらどうしよう」と日々頭を悩ませる家族など、「8050問題」の背景にあるのは、制度の狭間に置き去りにされ、声を上げたくても上げられない、あるいは、たとえ声を上げたとしても、どこにも届かない、という現実である。拙者『ルポ「8050問題」高齢親子“ひきこもり死”の現場から』より一部抜粋し、現場の声をリポートする。

困っている人がSOSを出せない社会

筆者が長年、全国各地の「ひきこもり支援」の現場を取材してきて感じるのは、まず、現在の日本社会は、ひきこもる人たちに限らず、困りごとを抱えた人たちの誰もが、SOSを出しにくい社会なのではないかという点だ。

現在の日本には「ひきこもっているのは恥ずかしいこと」「人に迷惑をかけてはいけない」「困った状況にいるのは自分の責任」といった価値観が根強くある。孤立は、本人の努力不足からくるという「自己責任」論だ。国は「共生社会」という理念を掲げているのに、地域には十分浸透していない。それどころか、現実は「~しなければいけない」とか「~してはいけない」という真逆の価値観に、当事者たちは苦しめられている。

そのせいで、困っていても声を上げることができずに、支援にたどり着くことすらできない。あるいは、ギリギリのところでようやく声を上げることができても、支援とつながったときには、すでに手遅れである事例もたびたび見てきた。

このような社会構造のせいで、ひきこもる子に限らず、「社会に迷惑をかけたくない」と、子を隠し、いわば“監禁”のような状態にしてしまう現状がある。

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