ヒトだけが「他人との比較」に執着するのはなぜか 人類に刷り込まれている不公平への拒否感

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カナダで行なわれた調査では、誰かが宝くじに当たると、その隣人たちが借金を重ね、自己破産に陥る傾向が高まることがわかった。

彼らは幸運な隣人に追いつこうとして、失敗したように見える。同様に、年収が上位1%(50万ドル超)に入るアメリカ人のなかには自分が中流階級であると言う人が多い。これはたぶん、自分よりも裕福な人々と自分を比べているからだろう。

これこそが、チンパンジーのフェイスブックが生まれない理由である。それは、チンパンジーがコンピューターやスマートフォンを使えないからだけではない。フェイスブックが多くの人間を魅了し続けているのは、社会的比較に取りつかれた人間の執着心をあおっているからだ。

私たちはたいてい、他人に対して自分をできるだけよく見せようとするものの、ほかの人が完璧な人生を送っている姿を受動的に見ることで幸福感や精神衛生に悪い影響が及ぶという考えは、今ではまずまず定着している。とりわけ、自分自身の人生が他人と比較してあまりうまくいっていない場合にはそうだ。

実際、自分と同等の人よりも暮らし向きが悪いことはかなり不快であり、私たちは社会的パートナーがさらに多くのものを手に入れるのを阻止するためだけに、進んで自分のお金や労力をつぎ込む。

「最後通牒ゲーム」が明らかにしたこと

実験室で公平性に対する人々の好みを測定する際に用いられる標準的な方法は「最後通牒ゲーム」だ。これは2人のプレーヤーで行なうゲームで、一方のプレーヤー(提案者)がお金を預かり、そのうちどれぐらいを相手(応答者)に分配するか提案することができる。

ここで問題は、応答者に拒否権があることだ。応答者が提案を拒否すると、どちらのプレーヤーも取り分はゼロとなる。

人々が古典派経済学のモデルに従って振る舞い、単にゲームでの取り分を最大にしようとした場合、応答者は取り分がゼロでなければ提案を受け入れるはずだ。提案者はそれを期待して、相手の取り分をゼロにせずにできるだけ少ない取り分を提案するはずである。

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