企業が本当は「社会正義」に何の関心もない理由 SDGsバッジは「意識高い系」の免罪符にならない
偽善としての「Woke Capitalism」
『WOKE CAPITALISM 「意識高い系」資本主義が民主主義を滅ぼす』の原書タイトル「Woke Capitalism」のWokeに「意識高い系」の訳語を当てた訳者のセンスには舌を巻いた。そう、あの「意識高い系」の何とも言えない「イヤな感じ」が、現代の先進国において吹き荒れるwokeismに対して人々が懐く違和感とつながっていることをうまく言い表しているのだ。
本書の内容については、本サイト掲載の内田樹氏による書評が詳細に伝えてくれているので、本稿では一歩進んで本書が示唆する今日のハイパー資本主義社会において規範・倫理が資本によって「包摂」(カール・マルクス)されることの問題性を考えたい。
Woke Capitalismとは、企業、とりわけ世界の名だたる多国籍企業が、社会正義に関わる諸問題にコミットする姿勢を積極化していることを、とりあえずは指す。諸問題とは、典型的には人種差別撤廃、性的少数者の権利獲得、気候変動問題等々であるが、それら諸問題において「政治的に正しい」(ポリティカリー・コレクト)とされる立場に企業は立ち、啓発キャンペーンを兼ねた広告のために多額の費用を投じ、寄付を行うなどしている。多国籍企業は、いまや利己カネ儲けを追求するのではなく、全人類の利益に貢献するという利他的な目的のために、貴重な儲けを投じつつある、というわけだ。
著者、カール・ローズの批判のポイントは明快である。要するにそれは偽善である、と。多国籍企業は、それほどまでに社会正義が気になってたまらないというのなら、なぜ末端の労働者に低賃金で過酷な労働を強いることをやめないのか、なぜ彼らの雇った大量の専門家にあらゆる手段を考案させて徹底的な租税回避を行うのか。
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