企業が本当は「社会正義」に何の関心もない理由 SDGsバッジは「意識高い系」の免罪符にならない

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注目すべきは、あくまで匿名の寄付者たることを貫いた安田に、「正義からの疎外」の意識があったに相違ないことだ。安田は「カネだけでなく名声をも貪る」と謗られることを恐れた。それは羞恥心の表れであった一方で、見返りの拒否でもあり、一方的に贈与する者、すなわち神の立場に立とうとすることでもあった。疎外の意識は逆に神の位置を占めようとする倒錯した欲望へと転化し、あたかもその傲りを罰せられるかのごとくに、安田はテロリストの凶刃に斃れることとなったのであった。

これに対して、今日の「意識高い系」資本家階級に、「正義からの疎外」の意識を感じ取ることはできない。というよりも、すでに述べたように、今日何が社会正義であるかを決定する権限を彼らは握ったのだ。それにコミットすることが企業のイメージアップに貢献し、したがってさらなる利潤の獲得につながる事柄が「正義」なのである。先に見たリバタリアン的な主張において、資本家と正義の間に内在的な関係はなく、資本家による慈善は正義から疎外された者の罪滅ぼしでありうるのに対し、利潤獲得と緊密に結びついた「意識高い系」資本家階級による慈善事業は、資本家自らが設定した正義の自己自身による実現である。そこに疎外の意識は存在しない。

そして「形式的包摂」は「実質的包摂」へと進む

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資本主義社会における勝利者たる資本家階級のみがその財力によって善をなしうるようになった状況は、言うなれば「正義の資本のもとへの形式的包摂」がなされた段階である。そして、「形式的包摂」は「実質的包摂」へと進む。正義の内容を資本家が何の後ろめたさもなく決定できる段階は、まさに「正義の資本のもとへ実質的包摂」に達した段階であると言えよう。

「資本家の、資本家による、資本家のための正義」、そしてSDGsのピンバッジをスーツに着けた「意識高い系」の勤労者たちは、恥も衒いもなく、自分もまた正義に寄与する者だと思い込む。

ところで、出入国在留管理庁による人権侵害や悪名高い人質司法による人権侵害に対しては何の関心も示したことのない経団連が、アメリカからの働き掛けを受けて、性的少数者の権利獲得、人権の問題についてのみ、「意識高く」積極的な働き掛けを行っているのは、一見奇妙な光景である。だがしかし、LGBTQの「T」に関しては、ホルモン剤の投与をめぐって医療・製薬産業の利益が絡んでくることに鑑みれば、その奇妙さは異とするに足りなくなる。ここにもまた、われわれはWoke Capitalismによる「包摂」の現代的段階を見出すことができるのである。

白井 聡 政治学者、京都精華大学教員

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しらい さとし / Satoshi Shirai

1977年東京都生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。一橋大学大学院社会学研究科総合社会科学専攻博士後期課程単位修得退学。博士(社会学)。3.11を基点に日本現代史を論じた『永続敗戦論 戦後日本の核心』(太田出版、2013年)により、第35回石橋湛山賞、第12回角川財団学芸賞などを受賞。その他の著書に『国体論 菊と星条旗』(集英社新書、2018年)、『武器としての「資本論」』(東洋経済新報社、2020年)などがある。

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