「肺気胸になりました。手術すればすぐ治るので2週間で退院したのですが、そこの痛みがトラウマになって激しい呼吸をするのが怖くなりました。だから、外で運動ができなくなって、家から出られなくなったのです。完全に人生お先真っ暗だなと思いました」
青戸さんは、25歳になった年にようやく外に出れるようになります。
「趣味のビリヤードがオリンピック正式種目に登録されるかもしれないというニュースを見て、自分もプロになろうと思った」ためで、朝から晩までビリヤードをやる生活を続けるうちに恐怖心を克服したそうです。
しかし、ビリヤードを続けるにもお金が必要で、その過程で貯金が底をつきました。活動を続けるため、彼は得意の英語力を生かして塾業界に入ります。
「学歴がないので一度は断られたのですが、翌週にも求人広告が出ていたのでもう一度行ったところ、熱意を認められて明光義塾で働かせてもらうことになりました」
この選択が、彼の人生を大きく変えます。
東大志望の生徒の受験失敗で募った危機感
25歳にして、個別指導の塾で副教室長として働くことになった青戸さん。最初はろくな仕事ができず、つねにやめようと思っていたそうですが、2年目からは教室長となり、計5年間、勤務を続けることになります。
「当時地元にあるのは集団で教える塾ばかりで、個別指導塾は明光義塾しかありませんでした。当時の勤務先は勉強できない子が行くと思われていた駆け込み寺で、塾生50名のうち、ほぼ全員が偏差値40以下でした」
しだいに、ビリヤードよりも塾のほうに情熱を注ぐようになり、楽しくなってきた青戸さん。丁寧できちんとした授業が評判を呼び、30歳までに生徒が20人ずつ増えて塾生は倍以上の114人になっていました。
「片道1時間かけて通ってくれる子もいた」と話すように、20歳後半にしてようやく、「一生続けたい」と言える天職を見つけました。
そんな彼が、どうして東大を受けるために浪人をしようと思ったのでしょうか。それは、受け持った生徒への指導の失敗がきっかけでした。
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