エリート森鴎外も苦悩「嫁姑問題」明治の壮絶実態 小説「半日」に凝縮されている人間らしさ

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博士は花なぞを持つて歸つて遣つたことがあるが、奧さんは少しも喜ばなかつた。それから「お前は月なぞを見て何とか思つた事があるかい」と問うて見た。奧さんは不審らしい顏をして、「いゝえ」と云ふのみであつた。さういふ訣(わけ)だから、散歩をしたつて面白くないのも無理はない。町を歩いて窓の内に飾つてある物を見ても、只ゞ見て面白いとは少しも思はぬ。(『半日』)

森鴎外はガーデニングが趣味だったというのだから、この「まったく自然にも興味を持たない」ことへの不満にも、力がこもっているように見えるのだ。ちょっと笑ってしまう。

こんな妻について、『半日』の主人公は、このように語る。「東西の歴史は勿論、小説を見ても、脚本を見ても、おれの妻のやうな女はない」と。もっと義母のことを敬えよ!と思うのだが、妻はまったくそんな努力をしないのだった。

だが、主人公は離婚もしないし、なんだかんだいって、妻のことを好きらしい。なぜなら美人だからだ。

『半日』には妻の容姿のよさだ繰り返し描かれており、一方で、強気な性格と趣味がよくないこともまた繰り返し描かれている。読めば読むほど「うーん、顔が好みだと許せちゃうってことか!?」と読者としては言いたくなるのだ。

森鴎外の哀愁が見えるラストシーン

そして『半日』という小説は、嫁姑問題に何の解決も見せず、終わる。ラストシーンの文章はこれである。

臺所(だいどころ)の方でこと/\と音がして來る。午(ひる)の食事の支度をすると見える。今に玉ちやんが、「papa, 御飯ですよ」と云つて、走つて來るであらう。今に母君が寂しい部屋から茶の間へ嫌はれに出て來られるであらう。(『半日』)

なんだか鴎外の哀愁が見えて、いい終わり方だ。家族の問題に解決はない。だがそれでもお昼の時間はやってくる。みんなでごはんを食べる。『半日』には鴎外の人間らしさが詰まっていて、「いい小説だな……そして鴎外、大変だったんだな……」と読むたび感じてしまうのだ。

三宅 香帆 文芸評論家

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みやけ かほ / Kaho Miyake

1994年生まれ。高知県出身。京都大学大学院人間・環境学研究科博士前期課程修了。天狼院書店(京都天狼院)元店長。2016年「京大院生の書店スタッフが「正直、これ読んだら人生狂っちゃうよね」と思う本ベスト20を選んでみた。 ≪リーディング・ハイ≫」がハイパーバズを起こし、2016年の年間総合はてなブックマーク数ランキングで第2位となる。その卓越した選書センスと書評によって、本好きのSNSの間で大反響を呼んだ。『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社新書)、『人生を狂わす名著50』(ライツ社刊)、『女の子の謎を解く』(笠間書院)『それを読むたび思い出す』(青土社)など著書多数)。

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