森鴎外はガーデニングが趣味だったというのだから、この「まったく自然にも興味を持たない」ことへの不満にも、力がこもっているように見えるのだ。ちょっと笑ってしまう。
こんな妻について、『半日』の主人公は、このように語る。「東西の歴史は勿論、小説を見ても、脚本を見ても、おれの妻のやうな女はない」と。もっと義母のことを敬えよ!と思うのだが、妻はまったくそんな努力をしないのだった。
だが、主人公は離婚もしないし、なんだかんだいって、妻のことを好きらしい。なぜなら美人だからだ。
『半日』には妻の容姿のよさだ繰り返し描かれており、一方で、強気な性格と趣味がよくないこともまた繰り返し描かれている。読めば読むほど「うーん、顔が好みだと許せちゃうってことか!?」と読者としては言いたくなるのだ。
森鴎外の哀愁が見えるラストシーン
そして『半日』という小説は、嫁姑問題に何の解決も見せず、終わる。ラストシーンの文章はこれである。
なんだか鴎外の哀愁が見えて、いい終わり方だ。家族の問題に解決はない。だがそれでもお昼の時間はやってくる。みんなでごはんを食べる。『半日』には鴎外の人間らしさが詰まっていて、「いい小説だな……そして鴎外、大変だったんだな……」と読むたび感じてしまうのだ。
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