主人公は「文科大学教授文学博士」の職をもつ、高山峻藏。彼はかわいい娘(名前を「玉」と言った)と美人な妻と暮らし、幸福な日々を送っていた。だが悩み事があった。彼は「奥さん」つまり妻と、「母君」つまり母の間で、日々板挟みになっているのだった。
妻はお嬢さん育ちだが、母は昔ながらのいい奥さんをしていた女性だったので、まったくそりが合わないのである。例えば上に引用したのは、主人公の家で起きた「嫁と姑、どっちが早く起きるのか」問題。
妻はもともと寝坊しがちな、意志が弱めの女性だった。だが結婚してからはできるだけ努力をしており、用事があるときは、目覚まし時計を使うくらいのことはしている。
が、もっと早起きなのが、主人公の母だった。彼女は目覚ましなんて使わなくても“autosuggestion”つまり自己暗示で「よし、明日は5時に起きよう」と思えば起きられる体質なのだった。凄すぎる。こんな母に、お嬢さんな妻が勝てるわけがない。というかほとんどの女性は勝てないだろう。
絵に描いたような「皮肉っぽい姑」
そしてこの母、絵に描いたような「皮肉っぽい姑」なのである。現代だったらインターネット掲示板にでも書き込まれていそうな内容なのだが、れっきとした文豪・森鴎外の小説なのだから笑えてしまう。
「まだ湯は沸かないのかねえ」と鋭い声で言う姑 VS 「なんという声だろう、いつでもあの声で子どもが起きちゃうわ」と言う嫁。
美人すぎて強盗に襲われることを恐れ、毎日すっぱり顔までパジャマで覆って寝る彼女も、まあまあエキセントリックであることがわかる描写ではあるが。しかしこの美人が起きてまず言うことが「あのお義母さんの声、子どもを起こすんですけど!」なところに日々の嫁姑バトルが見えるところである。
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