"ダメ記者"から「文春」創った菊池寛の驚く人生 リーダーは"文豪社長"に学ぶべき事が多くある

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文豪
のちに文豪、そして名碗社長とされる菊池寛ですが、最初は新聞記者からのスタートでした(写真:Graphs/PIXTA)
大ベストセラー作家でもあり、文藝春秋社の生みの親でもあった菊池寛。作家としての才能だけでなく、経営手腕にも定評があったことをご存じでしょうか。とはいえ、ダメなところも失敗もあった同氏。その波乱に満ちた生涯を描いた『文豪、社長になる』が話題の直木賞作家・門井慶喜氏に、歴史上でも稀有な二足の草鞋を履き続けた男にみるリーダーシップについて聞きました。

一兵卒からリーダーになった人間の“強さ”

――これまで『家康、江戸を建てる』等でたくさんのリーダーを描いてきた門井さんが、今回取り上げたのは、昭和の大ベストセラー小説の1つである『真珠夫人』の作者でもあり、創業100年を迎えた老舗出版社・文藝春秋を創立した文豪・菊池寛です。菊池寛という人物において特徴的なリーダーシップとは何でしょうか?

門井 私はリーダーには2種類の人間がいると考えています。1つは、最初からリーダーになるべくして生まれた人間、あるいはリーダー的な人生を歩んだ人間。もう1つは、一兵卒からリーダーになった人間です。

菊池寛のキャリアはジャーナリズムの一兵卒からのスタートでした。彼は作家志望の文学青年だったのですが、友人の芥川龍之介らが若くして文壇で華々しい活躍を果たす一方で、作家としてはなかなか芽が出ず、時事新報社の記者となります。

後に、この時代のことを回想して、自分は上司に言われたことしかできなかったダメな記者だったと語っていますが、これは謙遜ではなかっただろうと思います。

あるとき寛は、飛行機事故でパイロットが亡くなり、その取材を命じられたことがあったそうです。新人記者だった彼の仕事は、葬儀場に向かい、遺族の妹に談話を取りに行くことだった。それが本当に辛かったといいます。しかし、辛くてもコメントを取るのが記者の仕事だし、それができる先輩たちもたくさんいたはずです。その時に寛は、己の無力さや記者としての資質のなさを感じたのではないでしょうか。

ただ、こういう人が後にリーダーとなった場合には、ある種の強さがある。部下の気持ちが聞かずともわかるだろうし、それは言動にも表れてくる。生まれながらのリーダー資質の人間とは違う説得力をもって組織を運営できるだろうと思います。

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