登山を想像してみてください。高い山であれば、まず、べースキャンプを設営し、さらに2次キャンプ、3次キャンプを張りながら、頂上を目指します。
上に行くにつれて空気は薄く寒く食べ物もなくなってきて、このまま登山を続けたらどうなるんだろうと不安になってきます。途中で隊員の誰かが凍傷やケガで動けなくなると、 2次キャンプ、べースキャンプへと戻ります。そこで体力の回復を図り、再びトライするわけです。
下山する勇気
不登校の回復のプロセスを考えるとき、多くの人は再び山に登りはじめるときこそが「回復に向かうイメージ」だと考えるのではないでしようか。それはわかりやすい解釈ですが、登山には「下山する勇気」という言葉があります。身の安全を図るために、いったん登山を休止して、2次キャンプやべースキャンプに戻る。それも回復のプロセスのひとつなのです。
「苦しい」「助けて」→「このままじやダメになってしまう」→だから、学校を休んで、家(1次キャンプやベースキャンプ)で体力や心の回復を図る、というわけです。
それまで頑張って(無理をして)毎日登校していた子が、学校に行けなくなる、あるいはときどき休む、遅刻や早退が増えるといった、親からすれば困った事態も、そういうかたちでSOSを出せるようになったという意味で、回復に向かう一歩と考えられます。
少し元気になってくると、再び登っていくためのウォーミングアップを始めたり、登山の練習っぽいことをやりだしたり、いろいろな変化が起こってきます。このときはじめて親は「回復してきたぞ!」と喜ぶわけですが、すでに学校に行けなくなったときから回復の一歩は始まっています。
目の前でゴロゴロだらだら好き勝手なことをやっているわが子を見ていると、とてもそんなふうには思えないかもしれませんが、あとでふりかえってみると、「まさにあれは回復のプロセスだったんだ」と感じることができると思います。
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