「不登校になれてよかった」と思える3つの視点 学校に行けない「原因」を深掘りしてはいけない

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よく「不登校になってしまった」という言い方をしますが、「不登校になることができる」と考えてみたらどうでしょうか(写真:mits/PIXTA)
少子化といわれるなかでも、不登校は毎年増えつづけています。子どもがSOSを出したら親はどのように対応したらいいのでしょうか? 不登校で傷ついた子ども、その子とともにいて傷つき、疲れはてた親に、「あわてない、せかさない、くらべない」ための処方箋を記した『不登校の歩き方』より一部抜粋し再構成のうえお届けします。

「不登校になることができる」という視点

よく「不登校になってしまった」という言い方をしますが、これを「不登校になることができる」と考えてみたらどうでしょうか。

「なってしまった」は、不登校を悪いことだと考えているから出てくる言葉です。 しかし、「不登校になることができる」「不登校になれた」という視点で考えてみると、少なくとも3つの「いいこと」が見えてきます。

①SOSを発信できる

「いいこと」のひとつ目は、その子がまわりにSOSを出せるようになったということです。言葉では助けを求められなかった子が、不登校というかたちをとって、「助けて!」と言えるようになった。これはとても大事なことです。なぜなら、SOSは、相手を信頼していないと出せないからです。

わが子が赤ちゃんだったころを思い出してください。赤ちゃんは、何か不快なこと、暑いとか寒いとか、お腹がすいたとか、ウンチが出て気持ち悪いとかそんなときには泣きます。

すると、お母さんか飛んできてなんとかしてくれる。それをくりかえしているうちに、泣けばお母さんが来て快適な状態にしてくれることを学びます。そして、いつもSOSに応えてくれるお母さんへの信頼感が生まれてくるわけです。

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