「不登校になることができる」という視点
よく「不登校になってしまった」という言い方をしますが、これを「不登校になることができる」と考えてみたらどうでしょうか。
「なってしまった」は、不登校を悪いことだと考えているから出てくる言葉です。 しかし、「不登校になることができる」「不登校になれた」という視点で考えてみると、少なくとも3つの「いいこと」が見えてきます。
①SOSを発信できる
「いいこと」のひとつ目は、その子がまわりにSOSを出せるようになったということです。言葉では助けを求められなかった子が、不登校というかたちをとって、「助けて!」と言えるようになった。これはとても大事なことです。なぜなら、SOSは、相手を信頼していないと出せないからです。
わが子が赤ちゃんだったころを思い出してください。赤ちゃんは、何か不快なこと、暑いとか寒いとか、お腹がすいたとか、ウンチが出て気持ち悪いとかそんなときには泣きます。
すると、お母さんか飛んできてなんとかしてくれる。それをくりかえしているうちに、泣けばお母さんが来て快適な状態にしてくれることを学びます。そして、いつもSOSに応えてくれるお母さんへの信頼感が生まれてくるわけです。