優等生から不登校になった私に起きたこと 部活と受験対策びっしりの進学校に入って
田中さんは高校1年生の夏休み明けから学校へ行けなくなった。当時つらかったことや、現在の気持ちなどを話していただいた。
――不登校になったときは、どのようにすごしていましたか?
高校1年の夏休み明けから学校に行けなくなって、それから最初の1年間は本当につらくて、あまり記憶がありません。
「こんなことをしていました」と人に話せるようなことは何ひとつありませんでした。
ただ部屋にこもって、スナック菓子を食べて、ずっと泣いているだけでした。それからストレスでアトピーが出て、ひたすら体をかきむしっていました。
私はもともと勉強が好きで、中学までは成績もよく「優等生」だったんです。それが不登校になったことで、今まで積み上げてきた「優等生」というアイデンティティが完全に崩れてしまったんです。
「絶望しかなかった」
近所の目も苦しかったです。私の実家は地方だったからみんな顔見知りで、外に出たら「あそこの家の○○ちゃん、学校にも行かずに何しているのかしら」となる。
だから一歩も外に出られませんでした。家では親のことも拒絶していたから、部屋からもほとんど出ずにすごしました。
いろんな危機が一度に来て、もう絶望なんです。何をよりどころにして生きていいのかわからない。かといって「死のう」という意志もない。生きることも死ぬこともできない状態でした。
――学校のどういうところがきつかったのですか?
どの生徒にも画一的な授業をするところが嫌いだったんです。それでも中学校まではがんばって通っていて、高校は地元で一番の進学校に入学しました。
ところが、その高校が江戸時代の藩校から続いている伝統のある学校で、そのせいかすごく保守的で、部活も受験対策も厳しかったんです。