優等生から不登校になった私に起きたこと 部活と受験対策びっしりの進学校に入って

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学校が終わるのが夜の8時。それからバスに乗って家に帰るのが夜の9時~10時。帰宅後も課題がたくさんあって、毎日ヘトヘトでした。睡眠時間が減り、すぐに体調が悪くなってしまいました。

また、両親の仲が悪く、家庭環境もよくなかったんです。思春期と重なって、精神的にも追い詰められていました。そうした事情から、学校に行けなくなったんだと思います。

――つらい経験をされましたが、その後は?

両親と先生が話し合って、いろんなことを試されました。まず、実家にいると通学時間が長くなるから、負担をなくそうと、学校の近くに一人暮らしをさせられました。

私としては、登下校する生徒の話し声が聞こえたり、定期的にチャイムが聞こえるなど、「学校」から離れられない生活となり、よけいに苦しくなるだけでした。 

当時の心境を振り返る田中さん(写真:不登校新聞)

このひとり暮らしを半年くらい続けて、それでも学校へ行けなかったので、今度は親戚のおばさんの家に居候することになりました。

「サザエさん」のようなアットホームな家庭で、楽しい家でしたが、自分の家とあまりにちがうことでなじめず、実家に戻りました。

結局、高校は中退し、その後もひきこもっていましたが、不登校も3年目になると精神的に多少回復して、マンガを読んだりDVDを観たりしていました。

「私はこれからどういうふうに生きたらいいんだろう」という、ヒントがほしかったのかもしれません。ある程度、精神的な余裕があったから、そういうインプットができたんです。

勉強始めるもペンもにぎれず

しかし、本来なら高校を卒業する年齢に近づくと、焦りを感じるようになりました。大学に行こうと決心し、家からも地元からも出たかったので、上京をして受験勉強を始めました。

まずは高卒認定試験に合格するため、塾に通い始めたのですが、まだメンタルが完全に回復していなくて、最初は机に向かってペンをにぎることすら、まともにできませんでした。

悔しくて涙が出てくるんです。「ふつうに高校を出ていたら、こんなテスト楽勝で解けたのに」「本当だったら今ごろ、大学に通っていたはずなのに」と、かつて優等生だった自分と比べてしまうんです。

結局、受験に受かって大学に入るまで3年かかりました。

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