ブームから四半世紀、杜仲茶から意外な展開 日立造船が続けたバイオ研究の開花近づく

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トチュウに惚れこみ、研究を続けた中澤氏

杜仲茶は1993年、テレビの情報番組で取り上げられて火がつき、大ヒットとなる。因島造船所の一角には杜仲茶の箱詰ラインが増設され、パート主婦400~500人を総動員するなど、地元の雇用創出にも一役買った。中澤らは杜仲茶の固有成分の研究と合わせてトチュウの血圧降下作用の研究を進め、1996年にはトチュウ原料の健康ドリンクで当時制度化されたばかりの特定保健(トクホ)食品の認定を取得。そうした話題性もあり、杜仲茶ブームが一服したあとも同社のバイオ事業は30億円前後の年商を維持した。

ただ、日立造船を取り巻く環境は厳しく、2002年には造船事業を切り離して旧NKKの同事業と統合、別会社化するなど、一段のリストラに踏み切る。消費者向けビジネスで他事業とのシナジーが生かしにくい杜仲茶ビジネスも売却の対象となった。ちなみに、現在の楽天トラベルの前身、宿泊予約サイト「旅の窓口」事業も同時期に同社から売却された。

大学との共同研究でスピードアップ

中澤も仲間と一緒に小林製薬へ移る選択肢はあったが、NEDO(独立行政法人新エネルギー・産業技術総合開発機構)などから支援を受けたバイオ素材としてのトチュウ研究を継続するため、会社に残る道を選ぶ。

とはいえ事業部閉鎖で技術研究所(当時)へ異動となり、研究予算もスタッフも十分回ってこない。見かねて共同研究先の大阪大学が吹田キャンパスに50平方メートルの実験スペースを用意してくれたが、資金不足は変わらず、小林製薬やダイドードリンコなどからトクホ開発の請負をしながら研究を続けるという苦しい時代だった。

だが、大学に拠点が移って研究はしやすくなった。最新の実験設備が利用できたうえ、他の研究活動やNEDOに加えて科学技術振興財団、農水省などの助成や委託などの情報も入ってくる。何より、中澤自身が生命先端工学の研究室を構え、トチュウの成分解明などを研究テーマに選ぶ学生が実験に参画してくれたおかげで「研究スピードは、企業内で続けた場合の10倍以上は加速できた」。

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