うつ、2度の組織崩壊「絶望を味わいわかったこと」 予定調和を"あえて崩す"働き方とは?

ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

自分自身がトップに立って、メンバーが「幸せに働く」組織をつくりたい―。横江さんが持つその使命感は、一体どこから来るのか。

そう問うと、「自分が幸せじゃなかったからじゃないですかね」と返ってきた。

「実は、高校1年生の時にうつになってしまって。学校も休みがちだったので出席日数が足りず、留年して高校2年生を2回経験しました」

卒業後は、独学で北海道大学に進学したものの、再びうつ症状に悩まされた。

「大学は5年在籍しましたが、最後は食事も取れない、家から一歩も出られないほど重症化していました。いよいよらちがあかなくなって、親と教授とカウンセラーと私で四者面談が開かれて。

そこでカウンセラーが言った『このままだと良い方向にはいかないですね』の一言で、その日のうちに実家のある埼玉へ連れ戻されました(笑)」

(撮影:赤松洋太)

「せっかく生きるなら楽しく生きよう」

実家に帰ってからはうつの症状も徐々に良くなり、大学の授業で触れて興味を持ったプログラミングをするようになった。

「中学生時代に自作で着メロを作り出したときから、自分で打ち込んで何かを作り出す、ということの楽しさを知っていたんだと思います。あの頃は楽しかったな、なんてぼんやり思い出すようになったら、いつの間にか手が動いていました。

その時は自分でスマホアプリが作れる時代になっていたので、これは面白いぞ! となって、Cocos2d-xでのアプリ制作を目標に、参考書片手にC++の学習や開発に没頭しました」

そうして実家に戻った6カ月後には、アプリ開発会社の面接で自作のアプリを見せてエンジニアとしてアルバイトを始めていた。

「思い返せば、高校時代に初めて自分がうつだと分かったのも『mixi』のような日記サービスに『精神的にしんどい』と書き込んでいたら、それを読んだ人から『それ、うつかもしれませんよ。一度病院に行ってみると良いですよ』と教えてもらったことがきっかけでした。

それで初めて精神科に行って薬をもらって症状が回復して。ネットや『mixi』に救われた人間が、今このネット業界で、しかもMIXIグループでエンジニアをしている。 人生って面白いですよね(笑)」

うつの時、「死のうと思ったことは何度もあった」と横江さんは語る。

「ただ、死に方や死に場所を考えると、死ぬのは痛いし、どこで死んでも誰かに迷惑を掛けてしまうことが分かって。そうなると死にたくても死ねなかったんですよね。

死ねないなら生きるしかないので、せっかく生きるなら楽しく生きようって思ったんです」

落ち込むところまで落ち込んだ後、どこか吹っ切れた感覚と共に生まれた人生の捉え方は、横江さんが働く上でもブレない大切な軸となっている。

次ページ予定通りじゃ面白くない。技術も人生も楽しみ尽くすが勝ち
関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事