「過疎化で檀家減少」が寺だけの問題で済まぬ事情 ガバナンス欠如で脅かされる「信教の自由」

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以下では、現在の環境変化によってお寺の経営が大きく揺らぎ、それが社会に深刻な影響を与える可能性について述べる。そして、その背景には、組織改革をはばむ日本の仏教界特有のガバナンス・システムがあることを指摘したい。

跡継ぎのいないお寺はどうなる

お寺をとりまく環境の変化は、地方と都市に分けて考える必要がある。地方の過疎化は出生率の低下よりも都市部への人口の流出によって引き起こされている。これは檀家によって支えられているお寺の経営を直撃する。

よくある人口流出のケースは、進学のために地元を離れた子どもたちが卒業後に戻ってこないというものだ。だが、それだけでは檀家の寺離れは起きない。実家がまだ残っているからだ。

お寺にとって大事なことは、実家の両親が他界したあと、子どもが実家に戻ってくるかどうかである。もし、子どもが都市の公営墓地などと契約すれば、実家の墓はほぼ放置された状態になってしまう。

こうした現象は檀家数の減少につながるため、お寺の経営を悪化させる。一般に、住職がお寺の運営一本で生計を成り立たたせるためには、200軒ほどの檀家が必要とされる。

現在の檀家寺の住職はほとんど世襲になっているため、実家のお寺の経営が傾けば、その子どもは後を継がず別の仕事に就くだろう。

跡継ぎがいないお寺のとるべき選択肢は、以下のいずれかである。

①所属する宗派に跡継ぎを派遣してもらう
②知り合いの住職に代表役員を兼任してもらう
③寺仕舞いをする

このとき、最も一般的なのは檀家を説得しやすい②である。これらのいずれもできなければ、檀家ゼロ、住職不在、境内荒れ地、建屋ボロボロで、宗教法人格だけ亡霊のように残ることになる。

都市部では人口が減ることはないので、お寺の経営も安泰と思われがちだがそうではない。都市は地方と違って住民の定着率は低く、地域住民のつながりが希薄である。したがって、住民同士が必要なサービスを提供し合うより、市場に任せる傾向が強くなる。

こうした傾向はお寺の経営基盤の弱体化につながる。元来、お寺は地域コミュニティの中心であり、住職はそのなかで「顔役」的な役割を果たしてきた。そのため、仏事は檀家と住職の人間関係の上に立って行われるやりとりであって、その内容や金額は両者の「阿吽の呼吸」で決まっていたのである。

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