この問題をさらにややこしくしているのは、宗教活動に税法上の定義がないためである。先に述べたビル型納骨堂についても、宗派不問と宣言した時点でもはや宗教活動といえるかどうか疑問である。遺骨を預かり管理料を徴収するだけならば、トランクルームと業務内容はほぼ同一と思われても仕方ない。
ガバナンス・システムの崩壊がもたらす悪影響
このように、お寺が宗教法人格の売却や宗派不問のビジネス展開など好き勝手をやっていることに対して、そうしたお寺の所属する宗派は何の手立ても講じないのだろうか。宗派の本部の話では、苦々しく思ってはいるものの注意喚起を促す程度しかできないという。
その背景には、明治以降に肉食妻帯が許されたために住職の世襲化が進み、さらに戦後の宗教法人法によってすべての寺院に法人格が与えられたことがあげられる。その結果、宗派の本部といえども所属寺院の所有する財産に対する請求権や住職の人事権を持っていないのである。
仮に本部が厳しい態度で臨んだとしても、お寺には「単立化」という奥の手がある。要するに、宗派を離脱するということだ。こうなると本部は手出しができない。
信仰の内容を勝手に変えていいのかと疑問を持つ向きもあるだろうが、憲法の定めた信教の自由を盾とすれば、自治体の介入を阻止することができるのだ。これは「糸の切れた凧」ともいうべきガバナンス・システムの崩壊である。
憲法20条【信教の自由】は、戦時中に国家神道への帰順を強制されたことへの反省を込めて制定された。そして、私たちは誰に遠慮することなく、自らの望む信仰心を持つことができるようになった。
だが、日本の環境変化がお寺の経営基盤を揺るがしたことで、この条文を都合よく解釈する法人が次々と現れている。もし、この状態を放置すれば、行政の介入を許し、憲法によって保障された信仰上の選択の自由を失いかねない。私たちはこのことを肝に銘じておかなければならない。
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