「朝の8時から夜中の3時まで働き続けることもありました。休みは月に1回あればいいほうで、残業代などももちろん支給されませんでした。ただ、それよりも許せなかったのは、会社が従業員を駒のひとつとしか思っていなかったことです。当時はやりがいなんてひとつもなく、生きるためだけに働いていました」
第三者から見れば「そんな会社すぐに辞めればいいのに」と思ってしまうかもしれないが、二見さんはその会社で6年間も自分を犠牲にしてしまった。しかし、その経験が現在の原動力に繋がっているのだという。
「1日8時間働くと考えたら、仕事って人生においてかなり重要じゃないですか。仕事がハッピーじゃなければ、人生もハッピーにはならないと思うんですよ。従業員を大切にしない姿勢がどうしても受け入れられなかったので、自分はそうじゃない職場を作りたかったんです」
理由はほかにもあった。ネットもSNSも現在ほど発達していなかったこともあり、ゴミ屋敷・不用品回収の業界には不透明な部分が多く、顧客に対して決して優しくない面が多かったのだ。例えば料金体系は不明で、価格の相場もあるようでない。メディアに取り上げられることもほとんどなく、あっても行政代執行で強制的に退去させられるゴミ屋敷の住人が露悪的に映されるくらいだった。
「だったらお客さんに寄り添ったサービスを提供すれば、会社として十分に成り立つんじゃないか」
二見さんはそう考えたのだった。
彼らがゴミを捨てられなくなってしまった事情
これまで依頼を受けてきた中で、特に印象的だったケースとして、自室の片付けを依頼してきた20代前半の女性の例を挙げた。
その女性は、同じ棟内に大家も暮らすマンションに住んでいた。朝、女性がゴミ捨て場にゴミを捨て、夜に仕事から帰ってくると、捨てたはずのゴミ袋が玄関の前に戻されていた。そこには、大家から「ゴミの分別をしてください」と貼り紙がしてあった。
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