沢登り制覇目前にどこへ「民間捜索隊」過酷な現場 缶ビールを2本冷やしたままどこへ行ったのか

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私たち捜索隊は、遭難者を発見しても、その場から移送することはできない。捜索隊ができることは、名前の通りあくまで「捜索」だけなのだ。この段階では事件性を否定できないので、現場の状況をそのまま保存して警察へ通報し、指示を仰がなければならない。

街中で高所からの転落が発生した場合を想像してほしい。「足を滑らせて落ちた」という可能性はもちろんだが、「誰かに突き落とされた」可能性も否定できないだろう。山中でも同じだ。だから、私たち捜索隊は遺留品に触れたり、ご遺体を動かしたりして現場の状況を変えるようなことは絶対にしない。

この時点で私たちにできるのは、事前にご家族から聞いていた服装や持ち物から、目視でご本人の可能性があるかどうか確認すること、記録のための写真を撮ること、そして警察に正確な位置を伝えるために、緯度・経度をGPSで記録することだけである。

Kさんが遭難してから2カ月半

今回のように、うつぶせの状態で発見されたとしても、ご遺体を仰向けにして顔を確認することはできない。

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Kさんのお兄さんに「うつぶせなので顔は確認できませんが、Kさんと思われるご遺体を発見しました」とお伝えした。

Kさんが遭難してから、すでに2カ月半が経っている。

お兄さんは、私たちの報告を聞いた時、しばらく言葉が出なかった。

私たちの通報を受け、午後には管轄警察の山岳救助隊が現場に到着し、その日のうちにご遺体は警察署まで移送された。後に司法解剖も行われ、本人確認も取れた。

どういった経緯でKさんがミズヒ大滝の上の落ち口で亡くなったのかは、誰にも分からない。ただ、ミズヒ大滝を進むには、一般的には高巻きが必要とされる。

また、Kさんは沢登り用の、靴底がフェルト地の靴を履いていた。苔が生えた沢の中を移動するにはもってこいだが、滝を高巻きするため落ち葉や泥、木の根っこなどで滑りやすくなっていた尾根を登るのには向いていない。ここの尾根はかなり急だ。

私の推測に過ぎないが、Kさんは尾根伝いに滝の上まで登り切った後、沢に戻ろうとし、その途中で足を滑らせて20メートルほど下の落ち口まで滑落してしまったのではないだろうか。こうした事故は、沢登りの最中の滑落では、最も多いケースでもある。

私たちが当初「Kさんは2日目に遭難したはずだ」と思い込んだ大きな原因には「テント内に下着が干されており」「ビールが2本、沢の水で冷やされていた」という状況があった。

どうやらこれは、次の週末に来るまでずっと張りっぱなしにしているテントを、ほかの登山客から荒らされたり、いたずらをされたりするのを防ぐため、Kさんが仕掛けたカモフラージュだった可能性が高い。

Kさんの発見を待っていたかのように、数日後、この山域には初雪が降った。

中村 富士美 LiSS代表

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なかむら ふじみ / Fujimi Nakamura

1978年、東京出身。山岳行方不明者遭難捜索活動および行方不明者の家族サポートを行う民間の山岳遭難捜索チームLiSS代表。DiMM国際山岳看護師、(一社) WMAJ(ウィルダネスメディカルアソシエイツジャパン)野外災害救急法医療アドバイザー、青梅市立総合病院外来看護師。遭難事故の不明者について、丁寧な取材をしながら、家族に寄り添った捜索活動を行っている。また遭難捜索や野外救急法についての講演などの情報発信もしている。

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