「スーパー資本主義」対「ポスト資本主義」のゆくえ 「火の鳥」に学ぶ「超長期プラス文理融合」の視座

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21世紀半ばに向けて、「限りない拡大・成長から持続可能性へ」と価値と行動の軸足を移していくことが私たちの進むべき道筋であることは間違いない。

成熟社会における科学とテクノロジー

では、以上のような時代認識と、本書のテーマである「科学」や「技術」はどう関係するだろうか。

ここで少し、いささか個人的なエピソードを記してみたい。ここ数年、政府関係のいわゆる審議会や委員会といったものに委員として参加することが増え、時にはいくつかの委員を兼任しているようなこともある。1つには、オンラインでの会議というものが一般的になり、京都の研究室にいながら一日に複数のそうした会合に出席することも可能になったという背景もある。

そうした委員会等に参加することは、私にとってもさまざまな学びや発見のある貴重な機会なのだが、同時に、次のような若干の疑問を感じることも折にふれてあった。

それは、そうした会合においては「競争力」「生産性」「効率化」「イノベーション」「投資拡大」「経済成長」といった言葉や概念が、半ば自明のように最重要なものとして語られることが多いという点だ。

あるいは少し別の言い方をすると、「次はDX(デジタルトランスフォーメーション)の時代」「次はGX(グリーントランスフォーメーション)」等々という具合に、「次は〇〇」ということが少々短絡的に論じられ、それらと並行して、“流れに取り残されるな”“勝ち馬に乗り遅れるな”といったトーンの傾向が多く見られるという点である。

そして科学・技術との関係で言えば、そうした場で多く示されるのは、つまるところ「競争力強化、生産性向上のための科学・技術」「経済成長のための科学・技術」といった発想である。

私自身、科学・技術のもつ意義としてそのような側面があることは否定しない。しかし本書の中で論じるのは、そうした目的には還元できないような科学・技術の新たな意味や価値があり、しかもそのような価値は、これからの時代において大きく高まっていくのではないかという点だ。

「科学・技術の新たな意味や価値」とは、ここでひとまず例示するならば、地球環境をめぐる「持続可能性(サステイナビリティー)」や人間の「幸福(ウェル・ビーイング)」といった、経済の限りない拡大・成長とは異なる価値や目的に貢献するような科学・技術のありように関するものだ。

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