「スーパー資本主義」対「ポスト資本主義」のゆくえ 「火の鳥」に学ぶ「超長期プラス文理融合」の視座
なぜなら、このほど刊行した著書『科学と資本主義の未来──〈せめぎ合いの時代〉を超えて』の中でくわしく論じているように、実は私たちが今日「科学」と呼ぶ営みは、17世紀の科学革命を通じてヨーロッパで成立して以降、同時代に生成した資本主義というシステムと“車の両輪”のような形で展開してきたからである。
こうした関心を踏まえ、「科学」と呼ばれる現象と、それと表裏の関係にある資本主義/ポスト資本主義の展望をトータルに構想し、科学と社会の新たなビジョンを提案するのが本書の目的である。
「集団で一本の道を登る時代」からの移行
私は2019年に出した『人口減少社会のデザイン』という本の中で、「昭和」という時代は一言で言えば“集団で一本の道を登る時代”という言葉で表現できると述べた。空腹や欠乏の記憶がなお残る中で、ともかく物質的な富の拡大を目指し、“欧米”、とくにアメリカを理想的なモデルとし、強い同調性のもとで、多様性といった価値はもちろん後回しにし、文字どおり“一本の道”を登っていった時代が「昭和」だったと言える。
そうした日本の姿、とりわけ大きな経済成長は、1970~1980年代前後には「ジャパン・アズ・ナンバーワン」とまで称せられるに至った。日本は経済成長の最高の優等生として世界から認知されたのであり、その時代を生きた世代にとっては、それは強固な“成功体験”となり、その結果、「昭和のやり方を続けていけば日本はうまくいく」という思考が意識の下に深く沈殿していったのである。
こうした文脈で考えると、「平成」の時代とは、その途中から日本の総人口が減少に転じ──日本の人口のピークは2008年(平成20年)で平成のほぼ中間点だった──、また経済が低迷して「失われた〇〇年」等といったことが語られつつも、進行する新たな社会的現実と「昭和的思考」との間のギャップが拡大していった時代だったと言えるだろう。
明治以降の日本の人口カーブはまるで“ジェットコースター”のような曲線を描いており、現在の出生率(2021年において1.30)が続けば、2050年頃には1億人を切り、さらに減少していくことが予測されている。現在の私たちは、あたかもジェットコースターが落下していくその際(きわ)に立っているように見える。
このように「令和」という時代は、人口や経済がひたすら拡大を続けた昭和とはまったく逆のベクトルの時代である。こうした状況において、昭和的な“集団で一本の道を登る”、あるいは“限りない拡大”の追求という発想で物事に対処していくのは、さまざまな面でかえって逆の効果を生むことになるだろう。
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