自衛隊出身の精神科医がYouTubeに見つけた天職 東大蹴って防衛医科大学校に進んだ彼の生き方

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防衛医科大学校は学生でありながら、公務員になる。つまり大学で勉強することが勤務だ。大学側が学費を負担するし、手当が支給される。

「普通の大学に比べたら厳しかったですね。朝6時半に並ばされて点呼、朝8時半から夕方5時までビッチリ授業。その後、レスリングだったので練習して1日が終わる……そんな毎日でした。加えて自衛隊隊員としての訓練もあります。あと、夏休みと春休みが短いですね。10日くらいしかありません。

防衛大学に比べたらゆるいですけど、それでももたなくて何人か辞めました。

もちろん楽しくはなかったんですけど、まだ世間のこと何も知らない青二才でしたから、

『まあ、世の中こんなもんなのかな?』

って思ってました。

大学6年生の時に、将来何をやろうか考えました。産婦人科や外科もいいな、と思ったんですけど、やっぱり性格的に1人でやれたほうがいいなと思って、それで精神科医を選びました」

防衛医科大学には卒業後は9年間自衛隊で働くという縛りがある。9年以内に自衛隊を退職する場合は卒業するまでの経費(最高4000万円以上)を返さなければならない。

益田さんも、卒業後は自衛隊員として働いた。

「陸上自衛隊に入って防衛大と三宿にある自衛隊治療病院で働いた後、自衛隊仙台病院で2年間兼務、その後防衛大に戻って2年間働いて退職しました。

スーパーローテーションでいろいろな科で働きました。仙台病院では精神科医として働きました。精神科医は2人しかいなかったので、かなり忙しかったですね。

ほかには看護学校で授業したり、東北方面隊の健康診断をしたり……。衛生隊員として訓練もしました」

違約金2600万円を払っても7年目で辞めた理由

自衛隊の縛りは9年だが、益田さんは7年目で辞めた。違約金は2600万円ほどだった。

「医者って、医大を出たらすぐに専門医になれるわけじゃないんです。医大を出て研修医として2年間働き終わった後、専攻医として4年間働いて、やっと専門医になれます。専門医になれると、さまざまな機関で雇ってもらいやすくなるので、その段階で辞める人が多かったです」

もちろんその後も自衛隊で働く人もいるが、医療行為よりも、医療知識を必要とするオペレーションを求められることが増える。

つまり、手術をしたり、診察をしたり、がしづらい環境になるので、医者としてのスキルが身につかなくなる場合が多い。それを嫌がり7年目で辞める人は珍しくない。

「あらかじめ辞めるための貯金をしていました。入校した時から、月10万~20万円くらい。そもそも忙しくて使うヒマないですしね。自衛隊には食べ物だけは大量にありますし(笑)。

それで1600万円ほどはためていたんですけど、僕の年からルールが変わって2600万円国庫に返納しなくてはならなくなったんです。

1000万円借金を背負うことになるので、いろいろな人に相談したんですが、先輩に、

『医者にとって1000万円は大した金額じゃないから、辞めたかったら、辞めたほうがいいよ』

って言われて、辞めました」

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